日本ツアーをきっかけに年金基金が生まれた
それを打破したのが、他でもない日本へのツアーであった。1992年、野村證券との日本ツアーの契約が実現し、安定した収益とスポンサー契約が実現した。これについてのちの楽団長であるヴァイオリニストのクレメンス・ヘルスベルクによれば、この収益計画と年金配分を総会に諮り、これまで何度も意見がまとまらなかった年金基金設立を採択したという。コロナ禍においても彼らが日本ツアーを重要視したのには、こうした背景もある。
オーストリアの法律上、ウィーン・フィルは非営利団体の協会であることから、一般企業のように資産価値を上げることや利益追求を目的にすることはできない。そこで、チケット収益などから指揮者やソリストのギャラなどの経費を差し引き、年金拠出のための積み立てを行なっている。
自分たちで運営することで、音楽への責任感が増す
また、これ以外の内部留保した資金をもとに社会活動も活発に行なっている。2011年の東日本大震災の際には日本円で1億円相当を拠出し、サントリーと共に音楽復興基金を設立した。最近では2022年3月に、ウクライナへの支援として10万ユーロを寄付している。また継続的な社会活動として、病院への慰問演奏や教育活動が行なわれている。
独立採算制を取り、経営母体を持たない自主運営団体だからこそ、音楽活動の自由と共に、社会的な存在意義を高める施策を独自に行なう自由を持ち合わせているのだ。これについてクラリネットの首席奏者ダニエル・オッテンザマーは「すべての方向性に自分たちの音楽的バックグラウンドが反映されている」と評しているし、楽団長フロシャウアーは「誰に押し付けられているわけでもなく自分たちで決めて運営することで、音楽への責任感が増している」と話している。