矛先は怒りをぶつけられる「手頃な相手」へ
厄介なことに、加害者とみなす相手に怒りを覚えても、直接ぶつけるのが難しい場合が少なくない。たとえば、本当に腹が立っているのは、理不尽な指示で部下を振り回すくせに、責任はすべて部下に押しつける上司だったり、ろくに家事をしないくせに、文句ばかり言う妻だったりするが、そういう相手には怖くて何も言えない。
あるいは、現在の年金制度に腹が立っても、それを作った政治家は遠い存在だし、監督官庁である厚生労働省もあまりにも巨大な組織なので、直接怒りをぶつけられない。
それでも、怒りが消えてなくなるわけではない。怒りは、澱のようにたまっていくので、何らかの形で吐き出さずにはいられない。だから、その矛先を方向転換して別の対象に向ける「置き換え」というメカニズムが働く。先ほど紹介した年金事務所職員が定年退職者から暴言を浴びせられるのも、やはり「置き換え」のせいだろう。
自分が悪いと自覚できない“便乗怒り”
同様のメカニズムが働いた結果起きていると考えられるのが、政治家や芸能人などの発言、あるいはネット上に掲載された記事の炎上である。その内容に非難すべき点があると思うからバッシングするのかもしれないが、一部分だけを切り取ったり、ちょっとした言葉遣いをあげつらったりして、血祭りに上げているように見える場合が少なくない。
なかには、他の人が残した怒りのコメントを少し読んだだけで、輪をかけて激しい怒りのコメントを残す人もいるようだ。さらに、発言や記事の元の文脈を無視しているとしか思えない人もいて、きちんと読んでいないのではないかと疑いたくなることもある。
こういう人は、いわば他人の怒りに便乗して怒るわけで、“便乗怒り”といえる。この“便乗怒り”は、「他の人も怒っているのだから、自分も怒ってもいい」という理屈で正当化されやすい。当然、怒っている本人は、自分が悪いとは思わない。