アメリカでのコンサート出演を決断
アメリカに帰ったトミー・リピューマは、酒の酔いも覚め果て頭を抱えていたらしい。オフィスのスピーカーでYMOの音源を聴きながら「いったいこれをどうやって売れというのだ!」と。
そこへたまたま〈チューブス〉という人気ロックバンドのマネージャーがやってきて、聞こえてくる音に興味を示してきた。
トミーから日本のユニークなバンドだと説明を受けるとますます気に入った様子で「今年の夏に行うチューブスの3夜連続コンサートに出演させたい!」と言う。
トミーから僕に連絡が入り、僕は村井と相談した。
費用はアルファ持ちという話である。メンバーとスタッフのみならず、大掛かりな機材をすべてアメリカまで運ぶのだから、多くの予算を必要とする。アルファレコードの社運を賭けるプロジェクトになった。
もっともアルファはその後も社運を賭けた(?)プロジェクトを連発することになるのだが。
村井は、大きなリスクを承知したうえでこれをチャンスだと受け止め、チューブスのコンサートへの出演を決断した。
「日本人の典型的なイメージ」を逆手にとる
ライブ・ツアーの事前の打ち合わせで僕がメンバーに提案したのは、アメリカ人が日本人に対して抱いている典型的なイメージを逆手にとって、日本のアイデンティティとして表現しようというものであった。
日本人は無口で無表情だと思われているのだから「曲間に拍手をもらってもニコリともせず、お辞儀もせず、無表情のまま怒涛の如く演奏を続けよう」と言った。
メンバーは「そりゃ楽でいいですね」などと言っていた。
また、学生服やサラリーマンの画一的なユニフォーム姿に象徴されるように、制服を着用するイメージをもっているだろう、と考えたので、ファッションセンスのある高橋幸宏に相談してユニフォームを作ってもらうことにした。
高橋幸宏がデザインしたのは、真っ赤な人民服のような衣装だった。
サポートミュージシャンとして参加する渡辺香津美と矢野顕子、そしてステージ上の視覚効果も狙って設置したコンピューターのプログラマー・松武秀樹は、黒い制服のようなものを着て出演することになった。
また、ファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』の米国盤は、チューブスのコンサート開催前にリースされることになった。