紙では「求めていないニュース」に出会える

しばしば指摘されるように、新聞紙大の一覧性の高さは、どんなにパソコン画面が大きくなってもかなわない。紙の新聞に親しんで人なら分かるように、見出しが目に飛び込んでくる新聞は情報を短時間で把握するツールとして圧倒的に有利だ。もちろん、これも「慣れ」の問題だとも言えるが、紙の新聞の捨てがたい機能のひとつだろう。

もうひとつ、これも指摘されることだが、紙の新聞の場合、自分から求めていないニュースが紙面で大々的に展開されている意外性に直面することが少なくない。新聞社が考える「ニュースバリュー」が「見出し」の大小となって表れる。もちろん、ニュースサイト型の新聞も並ぶ順番などは新聞社の意思が反映されているが、紙に比べ、「並列感」が強い。

また、ネットメディアならではの機能として、読者個人の関心に応じたニュースが優先的に表示される仕組みが広がっている。自身が意図して「選択」しているケースもあるが、無意識のうちに人工知能などによって「配信」されているものも多い。つまり、知らず知らずのうちに、似たようなニュースを繰り返し読んでいるということになる。

どんどん「意外性」とは真逆にある、興味の範囲内の情報しか受け取らなくなっている可能性がある。ネットメディアはそうした傾向が強いわけだ。

SNSの利用者は「他人の意見」を聞こうとはしない

さらにSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)になれば、もはや自身の意見に近い意見が多く表示され、「友だち」になる人も情報の指向性では「似たもの同士」が集まっていく傾向が強い。

シリコンバレー発の世界最大級の知識共有プラットフォーム「Quora」のエバンジェリスト、江島健太郎氏は以前、筆者のインタビューに答えて、「SNSなどのネット上の場合、議論というよりも、自分に似た意見に同調し、『信念を強化』する場になっている」と語っていた。両論併記を心がける新聞などの伝統的ジャーナリズムと違い、SNSの利用者は「他人の意見はどんどん聞かなくなって閉じ籠もっている」というのだ。

もしかすると、今、世界で起きている「分断」はこうした情報の伝わり方の変化が大きな要因になっているのではないか。

写真=AFP/時事通信フォト
2022年12月18日、米連邦議会で警官隊と衝突するトランプ大統領(当時)の支持者(アメリカ・ワシントン)

米国でもトランプ前大統領を支持する人たちは、対立陣営が「嘘」と断じるトランプ氏の言説を信じて疑わない。それも少数の人たちではなく、国民を二分することになっている。似たような「分断」は英国のEU離脱の国民投票や、ブラジルの大統領選を巡る暴動事件などにも表れている。人々の情報の取り方の変化が、不寛容な世論を拡大させ、社会の分断を加速させているのではないか。