座敷わらしに家賃

2月になると、「女の子はどこにいったの?」「お客さんが来ているの?」「この部屋には何人いるの? 家賃払ってもらいたい」と言うことが増える。河津さんは、「座敷わらしだから大丈夫。お金に困らなくなるよ」と返して、妻の不安感を和らげるようにしたが、次第に河津さんは、妻だけに見える人々に振り回されるようになっていく。

同時に夜中、トイレに起きては、「痰が切れない」と呟き、咳払いをすることが頻繁に。やがて妻の喉の違和感は、痛みに発展していく。

4月には、使用済みのトイレットペーパーをどうしてよいか分からなくなるときが時々あり、使用済みのペーパーをトイレから持って出てくるように。

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同じ月、介護保険を申請すると、要介護3に認定された。症状は悪化する一方だったが、外へ出る機会があったほうがいいのではないかと考えた河津さんは妻と相談し、5月半ばからは、就労継続支援B型施設を週3回、月あたり最大18日に増やした。

5月には県主催の若年性認知症の本人向けのミーティングに初出席。この日、妻は参加者名簿に自分の名前を正確に書くことができた。そして帰宅後は、1年数カ月ぶりに夕飯を一人で作った。メニューはカレー。

「なぜだかわかりませんが、素材を切るのを手伝わせていたら、流れで『私が作ろうか?』といわれ、最後まで難なく作ってしまいました。これが、妻が一人で作った最後の料理となります」

6月になると、妻は化粧をするときに眉がうまく描けなくなり、左右が合わないことが出てきた。B型就労支援施設へ行くある朝、妻は「眉を描いてほしいの」と涙目で懇願。眉など描いたことのない河津さんは一瞬躊躇したが、時間は刻々と迫ってきている。「わかった、洗面所の鏡の前に行こう!」

この日以降、眉描きが河津さんの仕事の一つとなり、7月には化粧だけでなく化粧落としまで、かなりの部分手を貸すようになった。

7月を過ぎた頃、妻の喉の痛みが激化し、早朝と夕方に決まってパニックとなった。妻は毎朝5~6時ごろトイレに起き、布団に戻ると、「喉がイガイガする」と言い出し、やがて「喉が痛い」となり、「呼吸ができない」と言って苦しみ始め、過呼吸による痙攣などの症状に発展。最後に「病院に連れってって!」と大声を上げるようになる。

なだめすかしつつあめ玉をなめさせ、2種類の抗精神薬の効き目が出るまでの時間差をコントロールしながら、就労支援施設に連れて行くことが続く。

そうしている間に妻は、日中でも自宅内でトイレに迷うようになる。外出時のトイレは、女子トイレに一人で入ることはできなくなったため、障害者用トイレに河津さんと一緒に入るようになった。