もうコロナ禍の生活はウンザリだが…
「新型コロナはカゼと同じ」と言っている人の中には、もうコロナ禍の生活はウンザリだという人がほとんどだろうが、一部には「新型コロナをもうカゼと同じ扱いにして、罹患した労働者を早く現場に戻して働かせたい」というブラックな経営者も紛れ込んでいることだろう。政府もそんな財界の要望を忖度し、感染者の自宅療養期間短縮に舵を切ったのかもしれない。
だがそれは、社会経済活動を停滞させないことを目的としたものであるならば、むしろ逆効果であって、かなり筋の悪いものといえるだろう。
私たちが新型コロナウイルスとの共存を始めて3年になるが、コロナ禍が私たちにくれた唯一の恩恵といえるものが「具合の悪い人は休ませよう」という意識の高まりだ。せっかくのこの貴重な意識を「新型コロナはカゼと同じ」との言説によって「カゼくらいでは休めない社会」に回帰させることなく、むしろ逆に従来の「普通のカゼ」を新型コロナと同様に、罹ったら十分に休むべきもの、休ませるべきものとして、これまでの意識を大転換させることこそが、今後も繰り返されるであろうこのような感染症禍に打ち勝てる社会を形成するために必要である。
不寛容な時代だからこそ「お互いさま」の気持ちを
当然ながら、そのような社会を構築するためには、私たちの意識改革や行動変容だけでは不可能だ。症状の軽重、長短、職種、正規非正規にかかわらず誰もが収入を気にすることなく、いつでも休める制度が必要だ。そして当然ながら、その制度を作るためには、不祥事や不誠実にまみれた政治家を排したまっとうな政治が行える政権が必要であることは言うまでもない。
コロナ禍、不景気、物価高という私たちを取り巻く環境が日々厳しさを増している現在、私を含め、多くの人の気持ちに他者を慮る余裕などなくなってしまっていることは否定しないが、そんな不寛容な空気が充満している今だからこそ、「明日はわが身」「困ったときはお互いさま」といった寛容な気持ちを、いま一度思い出したい。