タブレットなら注文に1分とかからない。そうだとすると、従来型の小売店は選択肢を増やして競争することはできない。「なんでもそろう」店には太刀打ちできない。

実際、100万冊の本が所狭しと置かれている巨大な倉庫を見て回るなんて、考えただけで疲れてしまう(それもたった100万冊だ)。しかし、アマゾンでのショッピングはシンプルでわかりやすい(それに、コロナ禍でさえ、マスクをする必要はまったくなかった)。

オンラインにはない発見や偶然の出会い

どうして二つの選択肢が両方とも残っているのか。答えは言うまでもない。選択アーキテクチャーだ。

小さな店はキュレーションで対抗する一方、オンラインのメガストアはナビゲーションツールを使って、膨大な選択肢のなかから簡単に商品を探して選択できるようにしている。

キュレーションの処方箋は一つではない。事業を成功させる道は一つではないのと同じことだ。

一部の巨大書店が繁栄しているのは、よいキュレーションが行われているからだけではない。顧客にすばらしい体験を提供しているからでもある。

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フィクションの売り場からミステリーの売り場へと足を向けると、思いがけない発見や偶然の出合いがたくさんあって、ほんとうに楽しい。旅行やSFやアートに特化して成功している書店もある。

それと同じように、一部の秀逸なレストランがすばらしいのは、一つのことをきわめて、それをやり続けているからだ。最高のラーメン、ホットドッグ、タコス、ピザ、スペアリブに出合えるのは、それだけを売っている店であることが多い。

有名なシンガポールのホーカーセンター(屋台街)では、どの屋台も1種類の料理だけを出している。ミシュランの星を獲得している屋台も二つある。料理の値段は数ドルで、どこにでもあるような小さな屋台だ。どちらもキュレーションを行っているのである。

選択肢が多くても、満足が得られるとは限らない

セイラーが何年も通ったシカゴのワインショップはほんとうに小さなところで、ワインの箱が天井まで雑然と積み上げられていた。しかし、そこにいつもいるオーナーは、店にあるワインも、顧客の好みも、すべて把握していて、まるですぐれたアルゴリズムのようだった。いや、それ以上だっただろう。

オーナーはよく、「新しいボトルが入ったから飲んでみますか」と声をかけてくれたし、セイラーは多少のリスクならいとわない人間だった。偶然の出合いがあると楽しい。

ワインだけでなく、本でも、音楽でも、映画でもそうだ。よいキュレーションとは、悪い選択肢をとり除いて、新しい選択肢をとりいれることである。

人的資源部門から社会保障、医療といった領域の選択アーキテクチャーは、キュレーションとナビゲーションツールをなんらかのかたちで組み合わせて使わなければいけない。そうしなかったら、よい選択はできない。

「選択肢を最大化する」という、シンプルな哲学をもっている人もいる。それがいつも悪いわけではないが、選択アーキテクチャーのツールを賢く組み込まないと、問題を引き起こしかねない。