なぜ妻子を道連れにしなければならなかったのか
ではなぜ、妻子まで道連れにしなければならなかったのか。特に、生後5カ月の長男から殺害に至っている点が「残忍」という印象を与え、極刑に大きく影響していると思われる。宮崎地方裁判所の判決では、長男の首を絞めた後、浴槽に放置し、土中に埋めた行為について「我が子への愛情は感じられず無慈悲で悪質」と糾弾されている。
しかし、判決が示す「我が子への愛情」とは、愛を育む環境でこそ芽生えるものである。暴言や暴力に支配された家庭で、章寛が雄登を「我が子」と感じられる瞬間はどれほどあったのか。無抵抗な子どもに手をかけた事実は許しがたい行為ではあるが、父親という実感はなかったのではないだろうか。
真美について、章寛は鑑定人に「信子から殴られている自分を、タバコを吸いながらニヤニヤしてみていた」と、自分を庇ってくれなかった怒りと絶望を語っている。家庭の中で孤立させられ理性を失っていた章寛の頭の中では、3対1の構図ができあがっており、元凶である信子と妻子を切り離すことはできなくなっていたのだろう。
弁護側は上告し、上告審では、極刑を望んでいた被害者遺族のひとりの処罰感情に変化が生じている旨の上申書が提出され、死刑回避に微かな光が差したように見えた。しかし、すべては遅すぎた。2014年10月16日、上告は棄却され、奥本章寛の死刑判決が確定した。