「あっくんは、理由もなく人を殺すひとではありません」
1988年2月、章寛は、奥本家の長男として福岡県豊前市に生まれた。豊前市は、大分県との県境に位置しており、求菩提山や犬ヶ岳などの山地に囲まれた、自然豊かな地域である。奥本家が暮らす地域は、家族ぐるみの付き合いがとても深い。
住民同士知らない者はなく、互いに助け合って生活してきた。章寛はこの地で、のびのびと幼少期を過ごした。地域からの同情は、家族だけではなく、3人を殺めるに至った章寛にも集まっていた。
「あっくん(章寛)は、人の悪口を言わないし、皆と仲良くできる人でした」
幼馴染のひとりはそう話し、事件の経緯を見守ってきた。
「あっくんは、理由もなく人を殺すひとではありません。きっと事情があったに違いないと信じています」
住民たちは、章寛は穏やかで優しく、人を傷つけるような人物ではないと、皆断言している。章寛に限って、「心の闇」や「裏の顔」を持っているなんてありえない、と口々に言うのだ。和代は、子どもが思わず甘えたくなるような、穏やかで温かい印象の女性である。
章寛には、高速道路を作りたいという夢があり、高校卒業後は土木関係の会社に勤めることを希望していた。ところが、通う高校で自衛隊員の募集があり、教師に勧められたことをきっかけとして、卒業後航空自衛隊に入隊、宮崎県の新田原基地に配属された。
「別れさせるから迎えに来い!」と怒鳴る義理の祖母
自衛隊という選択は、のちに被害者となる妻の真美と出会うきっかけになった。真美とはマッチングアプリを通して知り合い、交際するようになった。章寛のタイプといえる雰囲気ではなかったが、一緒にいると落ち着く女性だったようである。21歳の時、息子の雄登が生まれたことをきっかけに真美と結婚し、宮崎で義母の信子と4人で生活することになった。結婚後は自衛隊を除隊し、かねてより希望していた土木関係の仕事を始めていた。
「真美さんは、話しかければ話してくれますが、信子さんは……」
和代は真美と信子の印象を、のちにこう語る。奥本家の人々は、最初から信子に良い印象は持っていないようだった。真美、信子を含む山本家の女性たちは気性が激しく、もっとも手強い印象を受けたのは、信子の母親の花(仮名・当時70代)だった。
2人の結婚当時、介護施設で生活していた花に挨拶に行った際、職員に対し常に命令口調で横柄な態度を取る姿に、奥本家の人々は驚かされたという。花から突然「真美と章寛を別れさせるから迎えに来い!」と電話を受けたこともあった。「迎えに行かんでも自分で帰ってこれるやろと、おばあちゃんが断りましたけど」と、和代は語った。