小国の現実主義外交

かつてハンガリーは、19世紀に隣国オーストリアと同君連合(いわゆるオーストリア=ハンガリー二重帝国)を形成するなど、中央ヨーロッパ諸国の「盟主」的な存在であった。その同君連合は第1次大戦後に崩壊、ハンガリーは中央ヨーロッパの小国の一つに転落する。第2次大戦後には旧ソ連の影響下で、共産化を余儀なくされた。

1956年の反共産主義運動(いわゆるハンガリー動乱)の際にハンガリーは旧ソ連の武力介入を招いたが、それ以降、ハンガリーの外交は現実的な性格を強めることになる。旧ソ連を頂点とする東側陣営との友好関係を保っていたからこそ、先に述べたドルジバに象徴される、旧ソ連からの安定的なエネルギー供給を受けることができた。

同時にハンガリーは、西側陣営との協力関係も重視した。1968年の市場経済の部分的な導入や西側からの資金調達の成功は、そうした姿勢のたまものだった。他の中央ヨーロッパ諸国と同様に1989年に体制転換を果たしたハンガリーは、日米欧の支援の下で構造改革に努めた。2004年にはEUに加盟し、ヨーロッパ回帰を達成することになる。

中央ヨーロッパに位置する以上、ハンガリーはヨーロッパとロシアに翻弄されざるを得ない運命を抱えている。しかし第2次大戦後から現在に至るまで、ハンガリーは、両者の間で巧みにバランスを取ってきた。旧ソ連の影響下にあるときは西側諸国との関係も重視し、EUに加盟した後はロシアとの関係も重視してきたのである。

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EUはハンガリーの意見を無視できない

こうしたバランス外交戦略は、小国ゆえの現実主義に基づいているといえよう。内政が権威主義的な性格を強めており、またハンガリー国内にも反対派が多いことから、ハンガリーの外交戦略を否定的に評価する論者も少なくない。しかしそうした外交戦略こそが、人口971万人の小国ハンガリーのEU内での発言力の大きさにつながっている。

EUは、ハンガリーに対し、後述するEU復興基金からの資金配分を停止するなどの圧力をかけている。EUは、基本的に重要事項の決定に際して全会一致を原則とするため、ハンガリーの意見を無視しえない。それにハンガリーに圧力をかけすぎると、ハンガリーがロシア寄りとなり、EUの対ロ外交のほころびが大きくなる。