幼い頃の記憶と向き合う

佐田さんは主治医のアドバイスを基に、服薬治療を受けながら、子供の頃のつらい記憶と向き合い、整理していくことを決意。

そんな中、母親から法事があるとの連絡を受ける。佐田さんは記憶の整理の中で、「両親と腹を割って話さないことには、自分のトラウマは解消せず、病気は完治しない」ことに気付いていた。そこで佐田さんは、意を決して4年ぶりに実家を訪れた。

父親は62歳になり、2年前に定年を迎え、現在は非常勤で勤務を続けつつ、58歳になった母親ともども健康に暮らしていた。兄は29歳になり、障害者が働く作業所に通っている。

法事を終えた夜、兄も寝静まり、両親と佐田さん3人だけになったとき、佐田さんは口を開いた。

「お父さんとお母さんは、お兄ちゃんの障害を踏まえて私を産んでいるよね? きょうだい児が抱えるハンディキャップについて考えたことある?」

突然の質問に、両親は少し面食らった様子だったが、しばらくして父親が、「正直そこまで気にしたことはない」と答えた。

佐田さんは、「やっぱりね」と思いながらも、話を続ける。

「障害のある兄や姉のいる下の子が抱える苦悩について、深く考えずに私を産んだことで、私はこれまでとても傷ついてきた。だから謝ってほしい。お父さんとお母さんは、私に背負わせた苦労に気付いてないでしょ?」

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気が付くと佐田さんは泣いていた。両親は始め、びっくりした表情をしていたが、やがてそれぞれ「申し訳なかった」「ごめんなさい」と頭を下げた。

佐田さんは、長年つかえていた胸のしこりが溶けるような感覚を覚えていた。そして、「私は、結果的に3人目はいなくて良かったと思う。お兄ちゃんに関する悩みを背負う人を、これ以上増やす必要はなかったと思うから……」と両親に言った。

実は、佐田さんが産まれた5年後、両親は3人目を計画し、母親は妊娠。当時佐田さんは、「お姉ちゃんになるんだよ」と言われていたのだ。

「幼かった当時は、お姉ちゃんになるんだよと言われて、純粋にうれしかったです。流産という悲しい結果になってしまいましたが、今は、“兄のための私”“私のための弟妹”という子供の産み方をする両親は間違っていると思います。さらに、もし弟妹が生まれていたら、家族のリソースはさらに割かれざるを得ないので、私はもっと寂しい思いをしていたかもしれません」

佐田さんは両親に、心療内科に通院中であること、主治医からは、「家庭環境がつらかったために、小さい頃のトラウマが強く、慢性的な疲労状態にある」と言われたこと、うつ病と診断されて治療中であることを涙ながらに訴えると、両親はショックを受けつつもおおむね理解を示してくれた。