強豪にしただけでなく、川崎の街ごと変えてしまった

【村井】憲剛選手がすごいのはフロンターレをJ1の強豪に押し上げると同時に、川崎の街を変えてしまったことです。

憲剛選手が入団した頃のフロンターレは年間の平均入場者数が3000人くらいのチームでしたが、コロナ前には2万6000人が詰めかける人気チームになっていた。東京と横浜のベッドタウンで、スポーツ不毛の地と呼ばれた川崎市は、サッカーで輝いた。その根底には憲剛選手たちがやってきた地道なホームタウン活動があったんです。対談で憲剛選手は地域貢献活動について、こうも言いました。

「Jリーグは一応やってはいるものの、非常に形式的なことに終始しているように見えるんです。生意気ながら、本気で体を張ってホームタウン活動をしている僕らの側からすれば、Jリーグがもっとアイデアを出してくれればと思うんですよね」と。

強烈なパンチを喰らって目が覚めた

——実際にやってきた人の言葉だけにキツイ。

【村井】Jリーグ規約の21条には「Jリーグに入会するクラブはホームタウンを定めなければならない」とあって、その2項には「ホームタウンでは社会貢献活動をしなくてはならない」と書いてある。そんなことをちゃんと決めている競技団体というのは世界にも例がないくらい画期的なものなんです。

でも2014年にチェアマンになった私は就任直後からいろんなことがドタバタとあって、自分の中でこの「社会貢献活動」の軸が定まっていませんでした。すでにJクラブ全体では年間2万件の社会貢献活動をしていましたから、ひとクラブに換算すると年間400回にも及ぶ地域活動をしていることになる。Jクラブは毎日のように街に出て活動をしていることになるのです。

正直に言うと「Jリーグにできることにも限度がある」とぼんやり考えていた時期だった。強烈なパンチを喰らい、目が覚める思いでした。