「ごはんが食べられなくなったらどうしますか?」

——「希望」について、みなさん言葉が出てくるものですか。

【花戸】ですからそれを普段から聞いておくというのが僕のスタンスなんです。「ごはんが食べられなくなったらどうしますか?」って。

撮影=國森康弘
東近江市永源寺診療所の花戸貴司医師

——私ならなんて答えるだろう。「どうしますか? って、どういうことだろう」と、考え込んでしまいます。黙ってしまう人もいるのでは。

【花戸】そしたら何度も聞きます(笑)。50、60代であれば「そんなんまだ考えたこと、なかったわー」と言われるか、「もしそうなってもできるだけ病院で検査して治療してもらうわ」っていう人が多いですかね。

例えば今日来られた90代女性はお孫さんと二人暮らしなんですけど、暑い日に農作業をしていて、食欲が出ないと来院されました。コロナ検査は陰性で、レントゲンや心電図を行っても、疾患の兆候はみられません。それで「今後、ごはんが食べられないのが続くようだったらどうする?」と聞くと、本人は「もう胃の検査はしてほしくない。入院もしたくない。でも食べられへんかったら、家には置いてもらえへんな」と言うんです。今日は離れて暮らす息子さんといらっしゃったんですが、遠慮していたのかもしれません。でも僕はこの方をずっと診ていて、おそらくずっと家にいたいんだろうなぁと。そんな気持ちがわかるんです。

3年前は「食べられなくなったり、歩けなくなったら介護をしてくれる人がいないので、施設に入れてもらったほうがいい」と言っていたのですが、2年前の4月、コロナが流行り始めた頃は「肺炎になっても人工呼吸器はつけてほしくない。延命治療は希望しない」と打ち明けてくれ、昨年の12月は「最期まで家にいたい」と。

「ああしなさい、こうしなさい」とは言わない

——だいぶ変わったんですね。やりとりを重ねると、本音が見えてくるということですね。

【花戸】そうですね。僕はここで2000年から働いていますから、10年以上外来で対話をしてきた患者さんが多いんです。だから今までこういう人生で、今はこうしていて、将来はこうしたいということを折に触れてやりとりしているので、もうそろそろ介護保険を申請したら? とか、訪問診療に変えたほうがいいんじゃないですか? という話をします。

——この診療所では外来もされていますが「病院」と「在宅」はどう区別されているのですか。

【花戸】在宅ではレントゲンやCTを撮ったり、大きな手術はできません。「生活の延長線上を見ている」と思っていつもそのように接しています。ただ病院か家か決める際は、治療の選択肢を提示して自己決定をしてもらいます。例えば進行がんと診断され、まだ会社にお勤めされている人であれば、京都や大阪の大病院ならこんな治療ができますよ、と。僕自身はああしなさい、こうしなさい、とは言いません。