インドでは6歳から13歳(便宜上、1年生~8年生と表す)まで8年間の初等教育(義務教育)が行われる。しかし村に学校がなかったため、ソナムさんは8歳になるまで母親や村人たちから、生活のなかで暮らしの知恵を学んだ。「それはとてもラッキーだった」と振り返る。

「母は学校に行ったことがありませんでしたが、とても優しく、賢く、私にとって誰よりも素晴らしい先生でした。村人からも多くのことを学びました。例えば、種蒔きをして野菜を育て収穫する彼らのそばで、直接的な視覚や経験から植物の成長や農作業を学んだのです」

教師にも、同級生にものけ者にされた孤独な学校生活

8歳半の時、叔父に連れられて、故郷から遠く離れたラダック北部のエリア、ヌブラにある学校に通い始め、3年生になる時、父親の意向でジャンムー・カシミール州の州都シュリーナガルにある学校に転校した。ラダックはその頃、ジャンムー・カシミール州の一部で(2019年に分離)、政治家をしていたソナムさんの父親は州都シュリーナガルに拠点があったのだ。

ここから、ソナムさんの苦悩が始まる。

ジャンムー・カシミール州はイスラム教徒が約70%を占め、シュリーナガルはイスラム色が特に強く、チベット仏教圏のラダックとはまるで文化が違う。さらに州の公用語はウルドゥー語で、学校でもウルドゥー語で授業が行われていた。

ウルドゥー語とラダック語は共通点がなく、ソナムさんにとっていきなり外国の学校に入学したようなものだった。学校ではラダック語が禁じられていて、意図を伝えることもできない。

ソナムさんは授業についていけず、いつも教師から「廊下に立ってろ!」と怒鳴られていた。劣等生は同級生からもバカにされ、孤独な学校生活を送った。

劣等生から優等生に

この境遇に耐えかねたソナム少年は12歳、6年生の時にひとりで首都デリー行きのバスに乗った。デリーには、ラダックなどヒマラヤ山麓から来た子どもたちのための特別な学校があると聞き、その学校を目指したのだ。

子ども時代の話を笑顔で振り返るソナムさん。(撮影=齋藤陽道)

その冒険譚はここには記さないが、校長に直談判して特別に入学を許可されたこの学校が、ソナムさんの人生を変えることになる。

冬が長いシュリーナガルと夏が長いデリーは、学期の区切りが異なっていた。シュリーナガルの新学期は冬休みが明けた3月にスタートし、デリーは夏休み後の7月に始まる。

ソナムさんがシュリーナガルを飛び出し、デリーの学校に入学したのが7月の頭。3月から6月までの3カ月、6年生の授業を先行して受けていたのだ。この学期のずれによって、どの授業もすでにシュリーナガルで学んだ内容だったから、ソナムさんは率先して教師の質問に答えた。

すると、「彼を見なさい。とてもいい生徒ですよ!」と手放しで褒められ、同級生からもすぐに認められた。突然、優等生として脚光を浴びたソナムさんは、その評価を失いたくないという重圧を抱えつつ、誰からも認められる優等生としての責任も感じるようになり、予習、復習を欠かさずにした。