言動が荒い人には近づきたくない

ガチャン、バタン、ドカン……

先日、ホテルのバイキングで隣に居合わせた男性は、終始大きな音を立てていました。ご飯のジャーや、欧風カレーの寸胴の蓋をバタン、バタンと、それはそれは大音を立てて閉めるのです。

しかもその男性は、私がまだ料理皿のトングを置く前に、横から手を伸ばしてくるのです。この距離感と遠慮のなさは、恋人か子どもしか有り得ない……。

私はその男性の側から離れようと、料理を取るのをやめて、自分の席に戻りました。

しかし……こともあろうか、その男性は私のすぐ後ろのテーブルに席取りをしていたのです。そして、その男性は、食事中ずっと耳障りな音を出し続けていたのでした。

行為とは「音」です。私たちは、その人が成す行為に伴って出す音によって、その人を好ましく思ったり、疎ましく思ったりします。

写真=iStock.com/Jacob Wackerhausen
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同じように、言葉も「音」です。その人が発する言葉や言葉遣いの音によって、その人を好ましく思ったり、疎ましく思ったりします。

無意識のうちに相手を下に見ていないか

言葉や言葉遣いが穏やかな人は好かれ、荒い人は嫌われる。

問題は、自分の発する言葉の音が、自分には聞こえないことです。知らず知らずのうちに、つい、乱暴な言葉で、横柄に話してしまう。

私はこの現象を、「まんのタレ流し」と呼んでいます。

慢とは、仏教の言葉で、自分と相手を比較して、相手が自分より上か、下か、同等かの3つに分類する心のことです。

そして、相手を自分より下だと見ると、無意識のうちに乱暴な言葉で、横柄な態度で話してしまうのです。

当然、そのような言葉や態度で話をされた方は、「もうこの人とは話したくない」と、相手を嫌悪することになります。