「稼ぎどき」はとっくに過ぎたと思われていたが…
当時、たしかにビートルズのレコードは爆発的に売れていたが、もうピークの時期は過ぎたと見られていた。ポップスのレコードは、出した当初がもっともよく売れ、その後はだんだん下がっていき、数年後にはほとんど売れなくなる。
だからこの56曲も、当時の常識から見れば「稼ぎどき」はとっくに過ぎていたのである。レコードとしては、もうそれほど売れないだろうから、今のうちに著作権を財産に換えておけ、ということだったのだろう。
「ビートルズのレコードが半世紀にわたって世界中で売れ続ける」などということは、当時は誰も知る由がなかったのだ。だから、この当時のビートルズ側の判断を責められるものではないだろう。
またビートルズ自身が、ノーザン・ソングスの大株主なのだから、自分たちの曲が人手に渡るわけではない、という安心感もあった。
しかし、やがてビートルズは「株式公開」が、いかに危険が伴うことなのかを、大きな痛みとともに知ることになる。
株式の売却という身内の裏切り
ノーザン・ソングスが株式公開をしてわずか4年後の1969年、最大株主だったディック・ジェイムズは、ノーザン・ソングスの株を第三者に売却してしまう。株式公開しているので、そういうことはあり得ないことではなかった。
そもそもノーザン・ソングスは、ビートルズの楽曲の版権を持っているため、いろんな企業、投資家の垂涎の的だった。が、ビートルズは、ディック・ジェイムズは一緒にノーザン・ソングスを起ち上げた身内だと思っていたので、寝耳に水の話だった。
もちろん、ディック・ジェイムズが株を売ったのには理由がある。この1969年当時には、ビートルズは解散の噂がささやかれていた。
彼からすれば、ビートルズが解散し、ノーザン・ソングスの株価が下がるのを恐れ、株の売却を考えていた。そこで大手テレビ局ATV(現ITV)に売ったのである。
ただ、ディック・ジェイムズが、ノーザン・ソングスの持ち株をATVに売ろうとしたとき、ビートルズは「自分たちが買うから待ってほしい」と待ったをかけていた。
しかし彼は、ビートルズのもとへ出向き説明はしたが、ATVへの売却の意思は変わらなかった。当時のビートルズは、アップル社の大赤字により破産寸前の状態であり、とてもノーザン・ソングスの株を買い取る余裕はなかったのだ。
自分の曲を演奏するために「使用料」を払う羽目に…
株式公開当時、7シリング9ペニーだったノーザン・ソングスの株は、この売却時には約5倍の37シリングに跳ね上がっていた。ディック・ジェイムズは巨額の現金を手にした上に、300万ポンド分のATVの株も受け取ったのである。