感染リスクに対する認識も統一見解がないまま
すでにこの自宅療養期間の短縮は9月7日から現場で運用されてしまっているが、この方針転換は“元気な感染源の人たち”に行動範囲を広げさせ、新たな感染者を生み出すことになる。しかしこのリスクについて、いったいどれだけの国民が許容しているのだろうか。国民的コンセンサスはいったいどのくらい得られているのだろうか。これは曖昧にすべきでない非常に重要な問題だ。
そもそもこの“7日目ではまだ感染性を有している可能性”についてさえ、十分周知されているとは言いがたい。先日、患者さんに説明し注意を促したところ、少なくない方々にビックリ仰天されてしまった。これが現場の現実なのだ。
「新型コロナはただのカゼだ。他人から移されようが、自分が他人に移そうが大した問題じゃない」とほとんどの国民が思っているならいざ知らず、人々の新型コロナウイルスの感染リスクに対する認識に、まだかなりの温度差がある現状で、政府から一方的に“一定の感染リスクは許容しよう”との方針が打ち出されれば、その後に生じるのは混乱しかない。感染者の社会復帰にかかる対応ひとつとっても、社会における組織、例えば教育機関や会社ごとに対応がバラバラになり、大混乱に陥る可能性は否定できない。
このまま国民的コンセンサスがなきまま緩和策が進められていけば、教育機関や会社組織は、その管理者の考え方に基づき、大きく以下の3形態に分かれていくことが予想される。
「コロナくらいで休むな」という人たちが現れるのか
その3つとは、①政府方針に完全に従う組織、②政府方針を踏まえつつ独自の感染対策を追加して行う組織、③政府方針よりさらに独自の緩和策をとりコロナ禍以前と同様にしようとする組織、である。これらが混然一体となった社会が、医療機関そして私たちの生活にいかなる問題を引き起こすのか、今から冷静に考えておく必要がある。
言うまでもなく、冬を迎えるに当たって①さらに③のような組織が多数となれば、感染者の増加を抑えることは極めて困難となる。それは医療需要を増大させることにつながり、結果として医療逼迫と医療難民増をもたらすことになるだろう。
とくに③のような組織は、コロナ禍以前なら「カゼくらいで仕事を休むな、カゼくらいでは休めない」という人たちの集合体である可能性が高い。「インフルエンザと分かると面倒なことになるから検査したくない」と言う人に過去に何人も出会ったが、新型コロナウイルスについても同様の認識を持っていないとは言えない。
一方、②のような組織が増えた場合、それも医療需要の増大と医療逼迫を引き起こしかねない。政府の示した自宅療養期間の基準を満たしていても、「登校や出勤前には感染性の有無を医療機関で診断してもらってこい」あるいは「検査陰性確認後に登校・出勤するように」との“独自の感染対策ルール”を追加することが予想されるからだ。