「外国人を乗せるのは初めてだ」

駅前からホテルに向かう車のなかで、サン兄は「外国人を乗せるのは初めてだ。このあたりにはあまり来ないから」と言った。

フーイエン省には、海岸沿いに推定3万5000本の浅黒い玄武岩が形づくるダーディア岩礁や、ベトナムで一番早く朝日が見られるという本土最東端、ムイディエン岬などの美しい景勝地がいくつもあるが、交通の便があまり良くないうえ、リゾートホテルのような宿泊施設もなく、外国語も通じにくい。外国人が短期間の休暇でベトナムを訪れるなら、ハノイ市、ダナン市、ホーチミン市の三大都市を選ぶのが一般的だろう。

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「ここには遊びに来たのか?」。

サン兄が聞いた。「仕事1割、遊び9割だ」と私が半ば冗談で返すと、サン兄はぷっと噴き出し、「明日はどこに行く予定だ?」と続けた。

「ドンホア県だ」
「えっ? ドンホア県? 何もないところだぞ。友だちでもいるのか?」
「いや、いない……」

そう話をしている間にホテルに到着した。ダオと私が荷物を降ろすと、サン兄は「明朝9時だな」と言いながらも、私の答えが曖昧あいまいなままだったためか当惑した顔で去っていった。翌朝9時前、私がロビーに下りると、ホテルの前に車を停め、外のベンチに腰掛けているサン兄の後ろ姿が見えた。

近付くと、ベンチの下に落ちていた枯葉の葉柄を左の指でつまみ、葉をくるくると回しながら口笛を吹いていた。サン兄は私に気付き、「朝ごはん食べたか?」と聞いてきた。ベトナムでは「朝ごはん食べたか?」が「おはよう」と同じ意味合いを持つ定番の挨拶だ。私は「食べたよ」と笑顔で返した。

事件の詳細を報じた地元に新聞社に向かう

トゥイホア市の朝は、ゆったりとした時間が流れていた。小鳥のさえずりで目が覚め、窓を開けると微かに潮の香りがした。南部の大都市ホーチミン市のようなけたたましい音も、街に溢れる生ゴミが混じりあう異臭もない。

ダオと私は、香草をたくさん入れたチャオガー(鶏肉入りおかゆ)の朝食で久しぶりの爽やかな朝を迎えた。「今日はドンホア県に行くのか?」。サン兄が聞いてきた。「うん。その前にフーイエン新聞社に行ってほしい」「フーイエン新聞社?」と、サン兄は何か言いたそうだったが黙っていた。

韓国軍によって事件が引き起こされたとされる事件の現場はフーイエン省に点在しているうえ、広範囲に及ぶ。ある程度、目標を絞らないと取材費用も時間もかさんでしまう。そのため、まずは、『フーイエン新聞』のオンライン版にあった「韓国兵との戦い」(※2)という、1966年にフーイエン省ドンホア県の2社で韓国軍青龍部隊が行った作戦の詳細が書かれた記事を手掛かりに、情報を得ようと思ったのだ。

フーイエン新聞社は、チャンフービーチ近くの区画整理された官庁街の一角にあった。かなり大きな敷地のなかにクリーム色をした3階建ての社屋がどっしりと構えている。受付で事情を説明すると、すぐにひとりの男性が「編集長のファン・タン・ビン(54歳=2014年6月時点、2021年7月時点では前編集長)です。ようこそ!」と笑顔で出てきた。

(※2)『フーイエン新聞オンライン』韓国兵との戦い/“Phú Yên Online” Giáp chiến với lính đánh thuê Nam Triều Tiên(21-06-2013)