「1時間に400トンの石油が減っている。ことは急を要する」

東条内閣は10月18日に成立した。東条は近衛内閣の陸相としては杉山陸軍参謀総長と並ぶ対米強硬論者であった。

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だが首相となり、しかも天皇から9月6日の御前会議の白紙還元を指示された以上、直ちに開戦決意というわけにはいかなかった。「要領」の再検討を始めた。同月23日、内閣発足後初の大本営政府連絡会議が開かれ、再検討が始まった。永野軍令部総長が口を開いた。『杉山メモ』を意訳すれば、以下の通りだ。「10月上旬に和戦を決めるはずが、今になっている。研究会議は簡単にやってもらいたい。1時間に400トンの石油が減っている。ことは急を要する」。

杉山陸軍参謀総長は「研究に4日も5日もかけるのはダメだ。早くやれ」と述べた。研究や会議を簡単に早くやって、9月6日の御前会議の決定がひっくり返るはずもない。2人はそこで決まったことをそのまま行うこと、つまり戦争準備を完了することを急いでいたのである。

2人とも、9月6日の国策を決めたメンバーだ。昭和天皇は戦争回避を希望していることを明治天皇の和歌に託して2人を含めたメンバーに伝えたのだが、陸海の統帥部のトップが同じ人物のまま180度違う結論を出すのは最初から困難ではあった。見直しを検討する要目は11あった。

たとえば「欧州戦局の見通し」「戦争相手をオランダまたはイギリスとオランダに限定できるか」「対米英蘭戦が重慶政府(中国国民政府)にどんな影響を与えるか」「対米英戦の初期および数年の作戦的見通し」といった外交や戦局に関するものだ。このうち、筆者は特に「欧州戦局の見通し」に注目する。海軍では、ドイツによる英本土上陸は極めて困難という見方が強かった。陸軍は困難ではあるが不可能ではない、と判断していた。

船舶や石油などの必要量をことごとく見誤った

ドイツは1940年9月の英本土上陸を目指していたが、その前提である制空権の確保がままならず、延期していた。翌年6月には対ソ戦を始めたことで、可能性はなくなっていた。海軍の判断が正しかったのだ。

しかし、後で見るように海軍のこの見通しは、開戦回避には結びつかなかった。要目の中でさらに重要なのは、物理的な問題、具体的には船舶と石油などの重要物資である。南方の資源地帯を占領したとしても、それを運ぶ船がなければ石油はないものと同じだ。

石油が確保できなければ、そもそも戦争はできない。だからこの点に関心が集まった。出た結論は戦争に打って出ても石油は確保できる。船舶も大丈夫、という見込みだった。説明に当たったのは主に企画院である。

以下、本小項目のくだりは労作『日米開戦と人造石油』(岩間敏)による。軍令部の予想によれば、戦時下の1年あたりの商船の沈没は平均で40万~100万総トン数であったが、実際に沈んだのは年平均で222万総トン、全体では約814万総トンであった。予想よりも現実は2.2~5.6倍だった。

石油は、企画院が予想した1942年度の需要予想は520万キロリットルであったが、実際は825万キロリットルに上った。近代戦、ことに広い太平洋を舞台としたそれは大量の石油を消費することを、日本は認識していなかった。