大柄で強面の彼に怒鳴られたのだから驚いたのはもちろんだが、ディーリングルーム中が凍り付いた。それほど彼の怒りぶりはすさまじかった。

1987年10月。株価が大暴落した「ブラック・マンデー」の直後で、本来なら東京で指揮を執っていなくてはならないはずの私がのんびりとNYにいたのだから、彼が「瞬間湯沸かし器」になったのもよくわかる。特にディーラー出身の人は感情の起伏が激しい性格の人が多いからなおさらだ。

当時、私はブラック・マンデー直前の週末、翌年入社の新人獲得のために米国西部のビジネススクール回りをしていた。本来は、月曜日に株価大暴落のニュースを聞いた後、NY出張を取りやめ、カリフォルニアから日本に直帰すべきだった。出張でディーリングルームにおらず、ブラック・マンデーのすさまじさを体験できていなかったから翌日のこのことNYに顔を出してしまったのだ。大失態だった。

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外銀時代に実感した「上司と部下の緊張感」

怒られてしょぼくれながら帰国支度をしていた私を、カートは自室に呼び入れた。そして「皆の前で怒鳴って、大変申し訳なかった」と丁寧に謝まってくれた。転職して2年半が経過していた当時、「部下が、上司に怒られっぱなしの邦銀とは全く違う」と感じいったものだ。彼は、業績を上げ始めていた私が辞職するのを怖がったのだ。

これは後に私が部下を怒る立場に就いた時も同様だった。怒った相手(部下)が優秀であればあるほど、辞めないようにフォローした。部下には上司に対し「辞めるぞ」と言って対抗する手段があった。その意味で上司と部下の間には、ある種の緊張感があった。

米系企業にブラック企業が存在しないのも同様の理由だ。職場がブラックなら従業員がこぞって辞めてしまう。そうなると翌日から仕事が滞ってしまい企業存続の危機となってしまうのだ。

単身赴任という非人間的な制度もない。「転身赴任」の辞令を無理やり出すと、翌日、従業員は辞めてしまうからだ。ボーナス交渉も同様だ。優秀な従業員を引き留めておくには高給を出す必要がある。渋い企業と分かれば、ごそっと従業員が会社を辞めてしまうからだ。

安定の代償はあまりにも大きい

青色ダイオード訴訟もいい例だ。青色発光ダイオードを開発した中村修二博士が、勤務していた企業に特許権譲渡の対価を求めた訴訟があった。約8億4400万円で和解が成立したが、米国では報酬額が裁判で決まるなど考えられないことだ。

もし十分な報酬を与えてくれなかったら、当人はもちろん、まわりの研究者もごそっと転職していっただろう。他社が「成功してもあの程度ですよ、わが社が払う成功報酬ははるかに高いですよ」と、引き抜きの絶好のチャンスととらえるからだ。

要は、報酬額は裁判ではなく労働市場の需給で決まる。まさに資本主義経済そのものだ。