竹下登前首相「私が辞めて中国がおかしくなったと孫が言っている」

一方、天安門事件に対する大物議員の反応はどうだっただろうか。

外務省アジア局審議官の谷野作太郎は6月6日午後、数日前に首相を退任したばかりの竹下登前首相のもとへ説明に出かけた。

「事態は依然流動的であり、その帰趨きすうを慎重に見極めたい」

こう話す谷野に対し、竹下は述べた。

「(中国の情勢は)よくわからんわね。当初は一時学生の運動は(愛国的なものとして)支持されており、よい方向にあると思ったのだけどね。中国も本当に容易じゃないな」
「今日はご苦労さん。また、いろいろ教えて下さい。孫は、おじいちゃんが辞めて中国もおかしくなったと言っている。今年は動乱の年だ。まあ谷野君も大変だね」(「中国情勢[竹下前総理に対する説明]」1989年6月6日)

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日本に亡命を求めてくる中国人は「厄介」とまで発言

6月13日の自民党総務会。橋本龍太郎幹事長は石井一全国組織委員長とともにこう意見した。

「(事態が落ち着いてくれば)日本の青年の中には訪中して中国青年を支援し、共に戦おうというおかしな者も出てこよう。その場合の対応をどうするか考える必要もあろう」(「中国情勢[自民党総務会及び政審の反応]」1989年6月13日)

民主化を求める中国の学生を支援すること自体を卑下するような発言であり、当時の政界の中国認識を表している。

北京の日本大使館次席公使、久保田穣が一時帰国したのは6月14日。宇野首相や塩川正十郎官房長官らに現地の状況を報告するためである。

外相発中国大使宛公電「中国情勢[久保田公使の一時帰朝報告]」(1989年6月17日)に官邸と自民党中枢の「本音」が記載されている。

15日午前9時20分、久保田はまず官邸で塩川に会った。

北京の米大使館に民主派の天文物理学者・方励之が保護を求めて米中関係が緊張した時期である。塩川はこう話した。

「日本にも亡命を求める中国人が出てくれば厄介。何とか工夫して(そんな事態は)避けないとな。ちなみに、日本大使館の塀は乗り越えられるようなことはないか? 心配だな。(方励之のようなのが逃げ込んで来ないよう)中国側に警備方要請してはどうか」

塩川の発言にも、当時の日本の政治家の人権感覚が表れている。民主派の活動家や学生らが日本に亡命を求めても、対中関係に配慮して受け入れない方針があったが、「厄介」とまで言い切っている。