「避戦」の意思は軍部に伝わったが…

戦中派の作家、五味川純平は「四方の海……」の場面について言う(『御前会議』)。

「発言しない建前の天皇が発言したのは異例のことである。つまり、天皇は意思表示せずにはいられなかったと解すべきであろう。もしそうなら、天皇は詩歌の朗読による表現などとるべきではなかった。詩歌は感傷的感慨の表現手段でしかない。事はまさに国運が決する瞬間だったのである」

天皇の「避戦」の意思は、軍部に伝わった。御前会議から帰った東条英機陸相は「聖慮は平和にあらせられるぞ」と述べた。武藤章軍務局長は「オイ戦争なぞはだめだぞっ。陛下はとてもお許しになりっこない」と言った(佐藤賢了『大東亜戦争回顧録』)。しかし、わずか3カ月後に戦争は始まる。五味川は嘆息する。

「朕は戦争を欲せず、とひとこと言ったらどうであったか。(中略)沈黙の慣例は天皇みずからによって破られているのである。天皇の直接的意思表示が異例のこととして行われたとしても、行われてしまえば、それを輔弼ほひつするのが列席者たちの任務なのである。詩歌の朗読では、意思はどれほど明瞭に感取されても、手続きは忖度そんたくでしかないから決定力を持たない。列席者は恐懼きょうくしたが、それだけである」(前掲『御前会議』)

「輔弼」とは、明治憲法が定める規定で、各国務大臣が天皇の判断や行動が正しくなされるように務める、というものだ。天皇が「自分は戦争を望まない」と言っていたら、この規定によって避戦へと方向が変わったのではないかと、五味川は見る。しかし天皇はそこまで明瞭に意思は示さなかった。だから、天皇が戦争を望んでいないことは分かっても恐懼=恐れ入っただけだった。

自分たちが作ったデータで“催眠術”にかかってしまった

天皇が戦争回避を望んでいることを知った統帥部は、開戦への説得工作を進めた。

栗原俊雄『戦争の教訓 為政者は間違え、代償は庶民が払う』(実業之日本社)

石油や船舶の確保の見通しについて具体的データを示し、対米英戦争は可能、とした。結果的に見て大甘の見通しであった。しかし開戦に前のめりの軍官僚たちも、安心材料が欲しかったのだろう。自分たちが作ったデータが催眠術となり、「何とかなる」と思い込んだのではないか。もし、彼我の国力差を知ってなおアメリカに勝てると本気で思っていたら、それは医学の問題に関わってくるだろう。

ただ、陸海軍ことに海軍には慎重論も根強かった。アメリカとの戦争となれば主戦場は太平洋であり、となれば海軍力が勝敗を大きく左右する。当時は軍艦の保有量などで見ると米英が世界1位と2位で、帝国は3位だった。イギリスはドイツとの戦争で相当の戦力を割かなければならず、アメリカも大西洋に艦隊を配置しなければならなかったが、それを織り込んでも帝国海軍の物量的劣位は明らかだった。

「勝てるはずがない。戦争はすべきではない」というのが、純軍事的な判断である。

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