宗教によって心がねじ曲げられた人間によるテロ

それと比べて、右翼団体のテロは散発する。1987年から90年にかけて朝日新聞や当時のリクルート会長を銃撃し、朝日新聞阪神支局では2人が死傷された。

2007年には長崎市長が暴力団幹部の男に射殺されたが、これは政治的背景というより公共工事の選定にまつわる恨みによるものとされている。ただ、同じ長崎で1990年に「天皇にも戦争責任があると思う」と発言した市長が右翼団体の人間から銃撃されている。

その後のテロは世界的にみても、宗教絡みのものが多い。日本でもオウム真理教事件(1995年)は、世の中を震撼させた。そういうものが落ち着いてきた頃に今回のテロは起こった。

写真=iStock.com/da-kuk
※写真はイメージです

宗教によるテロというより、宗教によって心が捻じ曲げられた人間によるテロだった。最近のテロを見る限り、どうせ自殺するなら人を巻き添えにして死のうという拡大自殺と考えられる事件が多い。

前述のように虐待サバイバーによる犯行が起こっても、その犯人を指弾するだけで、虐待されている子供を救う話につながらないのでは意味がない。

格差社会化が進み、やけくそを起こしかねない生活レベルの人も増えていく。諸外国では格差が大きくなると凶悪犯罪が増えていく傾向は自明のことのように言われている。だから格差是正を重視するのだ。

左翼団体や右翼団体、反社会的勢力によるテロについてはその周囲をマークすればかなりリスクが低減するだろうが、このようなテロはマークしきれない。できるのは、治安機能としての警察組織を改善していくことだ。