2014年、日本で目にしたロシアの「下準備」

マイダン革命が起こった2014年は僕にとっても不思議で、またもどかしく、苦い経験が数多くあるとともに、多くのことに気づかされた年でした。

マイダン革命から7カ月ほどが過ぎた2014年9月9日、この日は僕の人生にとって最悪な誕生日であったのでよく覚えています。7月17日にはマレーシア航空機が東ウクライナで撃墜され、情勢が混迷を深める中、永田町の衆議院議員会館では、あるロシア政治の権威とされる先生の講演がありました。本当は、あまり気が進まなかったのですが、僕はウクライナに詳しいので、その講演後にコメントをしてくれと主催者に言われしぶしぶ参加しました。

写真=iStock.com/baona
※写真はイメージです

その先生はロシア正教会を中心にウクライナ国内の宗教事情を話し始めたのですが、今ほどウクライナに詳しくなかった僕の目から見ても、かなり間違いの多い内容でした。

親切心で間違っている箇所をいちいち指摘したかったのですが、あまりに多すぎたのと、学会での権威者ということもあり、人前で恥をかかせても可哀そうだなと思い、特に何も言いませんでした。

「ドネツク全域が火の海で人道危機が起こる」

お話が終わると、次に出てきたのがロシア連邦国際交流庁駐日代表部長の肩書を持つ方でした。日本とロシアで2つの博士号を持ち、ヤポニスト(日本学者)を自称して、まあまあ上手い日本語を話すこの男性は、普段からやや自意識、自信過剰なところがあり、日露交流をしている日本人の間でもあまり評判がよくありませんでした。

質疑の時間に入ったとたんに、したり顔で、ドネツクで撮影されたという5枚ほどの写真をクリップで止めて聴講者に配り始めました。そして一言「ドネツクでは今ロシア語系住民のジェノサイドが起こっており、また全域が火の海で第2次世界大戦以後最大の人道危機が起こる」と言いました。さすがにこれはないなと思ったのと、またドネツク州の広さを知っているのかと思い「戦闘自体は点と線で起こっており、さすがに全体が火の海はない」と言ったところ、気色ばんでロシア語交じりで反論してきました。

そこで「あなた、ドネツクに何回行ったことがある? 私はこの5年で15回以上訪問したが」と言ったところ、当然、彼は一度も行ったことがなかったのでしょう、押し黙ってしまいました。会合が終わって、スポーツマンシップにのっとってノーサイドで仲直りでもしておくかと名刺を持って行ったところ、受け取りを拒まれ、両手を挙げて肩をすくめながら足早に去っていきました。

ただ、今考えてみると、ロシア側は、このころから「東ウクライナでロシア系住民のジェノサイドが起こっている」と日本でも繰り返し主張していました。今回の戦争の情報戦の下準備はかなり早い段階で行われていたのです。