「教えること自体があの子たちを育てているんじゃない。子どもたちが思いっきり、やりたいことをやれる環境をつくってあげること。過保護にならないように見守りながら、いい形で放っておいてあげる。距離感みたいなものを大事にしながら、教えようとするよりも、場をつくる関わり方のほうが大切だと、感じています」
子どもの才能を見極め、場を用意し、自覚を導くと、成長意欲が自然と駆り立てられる。その才能を生かした仕事や役割がだれかの役に立ち、社会を明るく幸せにする――。それが、「人の育成」の一つのあり方だとしたら、アンナ氏自身が唯一無二の“成功モデル”だ。
「お金持ちにも有名にもならなくていい。でも…」
「私の中にあるもののほとんどが、父から教えられたものです。ラブジャンクスでやっていることも、アイドルのレッスンしたり振り付けしたりしてみんなに語っていることも。自分の細胞の中に、マキノ正幸が全部入っちゃっている。父がちゃんと育てたのは、実は私しかいない。父のことは大っ嫌い。でも、ずっと尊敬しています」
父の考えや教えを継承した自覚があるからこそ、アンナ氏にはアクターズスクールを辞めてから今日まで、強く意識し続けてきたことがあるという。
「私がみんなに誇れる仕事ができなかったら、沖縄アクターズスクールは“その程度”の証明になってしまう。お金持ちにも有名にもならなくていい。でも、ちゃんとみんなに恥ずかしくない、自分の才能を生かした仕事をせねばならないと思って、ここまでやってきました」
日本を沸かせた「沖縄アクターズスクール」再び
「アンナ、オレさ死ぬ気が全然しないんだよ、死ぬ理由が全然見当たらない。すごい生きると思うよ」
つい先日、すっかり元気を取り戻した父がこういってきた。
父の快復とイベント準備が進むにつれ、アンナ氏に再びアクターズスクールを活動拠点の一つに加えてほしいという身近な人たちの期待の声が届くようになった。
沖縄を去った20年前を振り返って、「今の私の感覚でアクターズにいることができたら、父の代わりに大人の人たちと喧嘩せず、うまく対話ができていたはずなのに」と思うことも少なくなかった。当時はどうすることもできなかったが、「父と平社長の2人がやろうぜ、と言っている間はできる範囲で応援していきたい。いろんな人の力を借りて、いろんな人をつなぐ役割があると思っています」と語る。
沖縄を変えたマキノ氏の存在に再び光を当て、卒業生たちを故郷で結び直す。そんなアンナ氏の役割が存分に発揮されるイベントが10月、沖縄で実現する。「大復活祭」はおそらく、一つの通過点に過ぎない。ここから、子どもたちのダイナミックな感性と才能を踊らせる「場づくり」を軸にした、沖縄アクターズスクールの第2幕が始まるだろう。