ソロではなく、グループとしてデビューさせる

マキノ氏が手がけた全盛期の沖縄アクターズスクールには、どんなエネルギーがあったのだろうか。

「沖縄の子ってダメなんだよな、みんなメンタル弱いしすぐ沖縄に帰りたがるんだよ、沖縄の子は使いものにならない、そんなイメージが持たれていました」

屋根の上のシーサーとハイビスカス
写真=iStock.com/O_P_C
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80年代にスクールからデビューをかなえる生徒が出始めた当初、芸能界にはこんな「沖縄の子」の評判があった。それに対してマキノ氏が「そんなことは絶対に言わせない」と宣言。育成方法を徹底的に見直し、鍛え上げたのが、安室奈美恵さん擁するスーパーモンキーズ以降の沖縄アクターズスクールだったという。

「それまでは才能のある子を事務所が一本釣りしていくパターンでしたが、スーパーモンキーズ以降はソロでは出さず、グループとしてチームとして精神面を鍛えていくことにしたんです。デビューを目的にさせるのではなく、その先を見させるという、メンタルトレーニングを始めました」

それぞれに、自分の夢を追う挑戦だったが、背負うものの大きさは、1人で抱えられる範囲をはるかに超えていた。

5万5000人を見ても「沖縄の子は全然違う」

「内地(本土)に行ってどんなに叩かれても絶対にくじけない心を身につけさせる、そんな考えでした。だからスーパーモンキーズのメンバーは死ぬほど厳しく鍛えられています。でも、それがあの子たちを苦しめた部分もありました。校長からは『売れなかったら、もうこれ以上の子は出せない。お前たちの頑張りで、沖縄の子たちのエンターテインメント界での今後が決まるんだ』、そう言われ、勝手に沖縄の未来を背負わされて闘っていました」

華やかなステージの裏に、数えきれないほどの若者の忍耐と心の傷があった。それでも、時代が人を評価する。マキノ氏は、「沖縄の子」が体内に宿す独特なリズム感、表現力、身体力の高さを見抜いた。どんな環境を与えればその子らの潜在力を引き出せるのか、本人にいかに才能への自覚と自信を持たせ、トップの世界を見せてあげられるか。執念にも似た鋭い感覚で、“原石”に向き合っていた。

アンナ氏自身も、「沖縄の子」の資質の高さを感じるという。「沖縄の子って全然違います。全国で5万5000人に直接会ってオーディションをして痛感しました。この島国にいる才能の数を考えたら、全国対沖縄でも沖縄のほうが多いんじゃないかと思うくらいです」と話す。