きっかけは「ダウン症支援団体との出会い」
長い間背を向けてきた過去、父親との確執や怒りの感情に、アンナ氏自身が正面から向き合えるようになれたのは、ダンス指導を通して、ダウン症のある子やその家族と深い愛情や絆を育んでこれたという喜びと誇りで満ちあふれているからだ。
2002年に沖縄を離れてからすぐ、ダウン症の支援団体との連携でダンススクール「ラブジャンクス」を設立した。アクターズ時代、期間限定で関わったプロジェクトがきっかけになった。筋肉がつきにくいといわれるダウン症の子の身体の発達を助け、豊かな感受性をさらに引き出すことができるダンスの力に保護者や医療関係者が注目し、プロジェクトの継続を依頼されていた。
アクターズの退職と同時に何もかも捨てようと思い詰めていた矢先。ダウン症のある人々が届けてくれた熱意と出会いはまさに、“希望の箱舟”になった。
過去を否定せずに済んだのは、この子たちに出会えたから
「一度始めたらやめられない事業になる。最大の目標はとにかく続けることだと思っていました。でも、そんな目標は必要なかった。最初のレッスンで、めちゃくちゃ楽しい、私絶対これやめたくない、そう思って今日まで20年、ずっときているんです。私が今までアクターズスクールでやってきたことを否定せずに済んだのは、この子たちに出会えたから。この子たちが私を指導者として継続させてくれる場所を作ってくれました」
ラブジャンクスは現在、全国で700人以上が参加する世界最大級のダウン症のある人々のエンターテインメントチームになった。スタートした当時5歳だった子が、卒業や就職を経験しながら、25歳になった今も、同じ曜日の同じ時間に欠かさずレッスンに顔を出す。
「成長をずっと見届けられることがとっても嬉しい。私の肩書きや過去の経験なんて関係なく、この人のことが好きかどうかがすべて。いろいろ考えたり、計算したりしないで、みんなお互いのことが大好き。そんな空間を作っていられるラブジャンクスが、今の私の1番です」
教えるより、場をつくることが大人の役割
商業的なエンターテインメントの人材育成から、社会的な意義を込めた活動まで、多様な切り口で子どもたちの個性や才能に向き合ってきたアンナ氏は、子どもと関わる「大人のあり方」をどう捉えているのだろうか。そう尋ねると、すぐにこんな答えが返ってきた。