前田氏はJBICの政治部長とも言われた人物。とりわけ前田氏の名前が永田町で話題となったのは、民主党政権下の10年6月に内閣官房参与として官邸入りした時だ。「当時の仙谷由人官房長官の引きで、民主党が進めたパッケージ型インフラ海外展開の知恵袋だった」(永田町関係者)とされる。
原発輸出にも熱心で、福島第一原発事故の際は、菅直人首相(当時)に「東電は国有化しても守るべき」と進言した。12年に日本政策金融公庫に吸収されていたJBICを仙谷官房長官に進言して分離・独立させた立役者でもある。
天下り批判はもはや過去のものか
自民党政権に戻っても、「前田氏は影の実力者が好きで、菅義偉官房長官(当時)に深く食い込んでいる」(先の民間銀行首脳)といわれた。与野党を問わず政界との関係は深く、第1次安倍内閣が提唱した「アジア・ゲートウェイ構想」の仕掛け人の一人でもある。
「JBICは海外プロジェクトに企画段階から関与し、戦略的リスクマネーを供給する」というのが前田氏の持論で、安倍政権が進めたインフラ輸出を後押しした。
しかし、こうした政治に近づきすぎた前田路線が、ロシアのウクライナ侵攻で暗転した。そこを財務省が突き、天領を復活させたのが林氏の総裁就任劇だ。
コロナ禍にロシアのウクライナ侵攻、そして米国の相次ぐ利上げに伴う円安進行を受け、またも日本経済は苦境の淵に立たされている。危機こそ政府系金融機関の出番である。財政を担う財務省と気脈を通じたOBが政府系金融機関トップに就くことは歴史の要請かもしれない。天下り批判はもはや過去のものか。