どう説明すればいいのかな……。ひと言でいえば、それまでとは違って、精神的にまいっていたんです。

ツアーに出られなくなったから落ち込んでいたとかいった話ではなく、抗がん剤の副作用だったんだと思います。うつ状態に近いような感じでした。

自分の中で何かがキレかけていた

このときを入れて、抗がん剤治療は残り4セット。こうした状態が続くのであれば、7月の復帰どころの話ではなくなってしまう……。大げさでなくそう感じられるほどの異常が起きていたんです。

精神的にも肉体的にも、追いつかなくなっていました。こういうことは本に記すべきではないかもしれませんが……。

「オレは抗がん剤に殺される」とも口にしていたほどだったんです。

闘病記録ノートを見返してみると、この頃は毎日、飲んだクスリの名前や体温や血圧、何時にストーマを交換したか、何を食べて、家では何があったか、といったことのあいだに「不調」「横になっている」と書き込まれることが増えています。

24日に「とにかくだるい」「抗がん剤治療はつらい」「止めたい」「止める」となぐり書きをしていました。

当時のことは思い出せない部分も多いんですが、自分の中で何かがキレてしまっていたんだとも考えられます。復帰できるかできないかという以前の問題として、がんとの闘いを続ける気力をなくしかけていたのかもしれません。

26日になって病院に相談の電話をしています。そのときに、とりあえずゼローダを飲むのはやめて、4月5日に病院であらためて今後の方針を話し合うことになりました。

その後も不調は続いていましたが、闘病記録ノートは再開しています。志村けん師匠の一周忌にあたる3月29日から闘病記録ノートも3冊目になりました。この日から不調という記述はなくなっているので、本当のドン底からは、なんとか抜け出せていたんだと思います。

時間が空くと抗がん剤治療は再開できないが…

病院には予定どおり4月5日に行きました。採血やレントゲンのあと、先生と話をしました。その場にはマネージャーと妻にも同席してもらいました。

このときは、「抗がん剤治療は打ち切りたい」という気持ちを伝えるつもりで行きながら、「オキサリプラチンをやめて、ゼローダだけ続けませんか」という話になったんだったと記憶しています。

自分としてはオキサリプラチンに対して恐怖心にも似た感情を持つようになっていたので「ゼローダだけにするならいけるのではないか」という気になりかけて、その日は先生の提案にうなずきました。

でも、結果的にはやはり、ゼローダも含めて6セット目以降はやらないことに決めたんです。

先生からは「7月のコンサートに出演したとして、その後に抗がん剤治療を始めることはできないですよ。時間が空きすぎるからです。それでも本当にいいんですか?」と念押しされました。