「自分がウクライナ人かロシア人か考えることもなかった」理由

次に、言語について述べましょう。ロシアに編入された東部地域でウクライナ語が禁止され、ロシア語が強制されたのは19世紀。帝政ロシアが支配するすべての領域でロシア化政策を進めたためでした。出版物も学校教育も、ロシア語だけに制限されたのです。

民族という概念や自己意識が、まだ希薄だった時代です。よりよい職や収入を得るために、進んでロシア語を覚えようとするのは当然だったでしょう。以来100年以上が過ぎ、ウクライナ東部に住む住民のほとんどはロシア語を使うようになり、ウクライナ語は忘れられていきます。東部に住む人たちの多くは、日常生活において、自分がウクライナ人かロシア人かと考える必要に迫られませんでした。

西のガリツィア地方を支配するオーストリア・ハンガリー帝国は、各地の文化や自治を重視する方針で、多言語政策でした。ドイツ語やハンガリー語だけでなく、ポーランド語もチェコ語も、そしてウクライナ語も自由に使われていました。

この地域に住むウクライナ人は、自分たちはキエフ・ルーシという伝統ある国の正しい後継である。大国のロシアとポーランドに挟まれているせいで独立を果たせずにいるが、独自の民族であるという歴史観を培ってきたのです。

宗教でも、ウクライナはロシアから独立

宗教はどうでしょうか。ウクライナでは、クリスマスが2回あります。ローマ・カトリック教会がグレゴリオ暦で祝う12月25日と、正教会がユリウス暦で祝う1月7日です。どちらも、2017年から国民の祝日となりました。このこと一つとっても、ウクライナでは宗教事情も複雑であることがわかります。

988年にキエフ・ルーシのウラジミール公が東方正教の洗礼を受けたことが、この地域におけるキリスト教の始まりです。その後、ロシアでもウクライナでも東方正教が広まっていきます。

1686年に東方正教会の筆頭権威コンスタンチノープル総主教庁が、ウクライナ正教会をモスクワ総主教庁の管轄に属すると決めて以来、ロシア正教会はウクライナ正教会を下部組織と位置付けてきました。しかし、2014年のロシアによるクリミア併合を機に、ウクライナでは正教会独立を求める声が高まり、2018年に大きな動きがありました。

「東方正教会」の筆頭権威であるコンスタンチノープル総主教庁が、「ウクライナ正教会を承認し、同正教会に対するロシア正教会の管轄権を認めない」と決めたのです。事実上の独立が認められたわけです。

しかしロシアは、この決定の背後にNATO(北大西洋条約機構)加盟諸国の意思が働いたと受け止め、強く反発しました。東西冷戦以降、コンスタンチノープル総主教庁は政治的にNATO加盟諸国と価値観を共有しているからです。NATOとロシアの代理戦争が、コンスタンチノープル系の正教会とモスクワ系の正教会の間で展開されたと見ることもできます。

さらに今年5月、モスクワ総主教庁管轄下に残ったウクライナ正教会も、ロシアとの訣別を宣言しました。ウクライナ戦争によって両国の正教会間の対立も深刻になっています。

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22年5月27日、キーウ近郊の聖パンテレイモン修道院でウクライナ正教会の評議会が開催された。「(ウクライナでの軍事作戦を擁護するロシア正教会トップの)キリル総主教の立場に同意しない」とし、「ウクライナ正教会の完全な独立」を宣言した。