米国に見られる企業観「企業用具説」とは

こうした投資家の意向を考えると、コダックの経営は単純な失敗だったと結論できない。儲かっているときは、それを投資家に配分し、儲けられなくなれば、速やかに市場から退場すべきだと考えるアメリカの投資家の期待通りの経営だ。日本の経営者にとって、企業倒産は深刻な失敗だが、アメリカでは、倒産は日本ほど深刻な問題とはとらえられていない。その背後には、ドイツや日本とは違う企業観がある。日本やドイツでは、企業は人々の共同体であり、それを存続させることが経営者の責任であると考えられているが、アメリカでは、企業は投資家が利益を得るための用具にすぎず、その価値がなくなれば、市場から退場したほうがよいと考えられている。存在意義を失いかけた企業を存続させようとするのは無駄な努力であり、その努力は、ゼロから企業をつくることやよい企業をさらによくすることに使うべきだと考えられる。そちらのほうが努力の効果は大きいからだ。企業の内部にある技術も同様である。衰退しつつある企業が、その関連分野で技術の応用を考えるよりは、それを社会に還元することによってもっと高収益の機会を見つけるべきだと考える。

日本やドイツに見られる企業観を、経営学では「企業制度説」という。それに対するアメリカの企業観を「企業用具説」という。投資家だけを考えれば、企業用具説が正しいと考えられるべきだが、なぜドイツや日本で企業制度説のような企業観が生み出されたのか。ドイツの場合には、ワイマール共和国時代に台頭した産業民主主義のイデオロギーが、その背後にあるといわれている。日本の場合はどうだろうか。2つの背景がある。1つは、従業員や取引先などの利害関係集団との長期取引の約束である。もう1つは、明治の半ばごろの資本主義の成立以来、日本に存在した反営利主義のイデオロギーである。