2012年、名門企業の代表格である米国コダックが破産した。では、なぜ同社を追い続けた富士フイルムは、生き残れたのか。高い技術力を基にした商品戦略、徹底した自己変革の道筋が見えてきた。
営業利益の3分の2、シェア7割が消滅
「ミネルバのふくろうは黄昏に飛び立つ」
哲学者ヘーゲルが『法の哲学』の序文に記した有名な言葉である。ローマ神話の女神ミネルバは、技術や戦の神であり、知性の擬人化と見なされた。ふくろうはこの女神の聖鳥で、成熟の時である黄昏とともに初めて飛び始めるといわれる。
富士フイルムホールディングス(以下、富士フイルム)の古森重隆会長兼最高経営責任者(CEO)は、この言葉と近年の自社の歩みを重ね合わせてこう語る。
「1つの文明、1つの時代が終わるときに、ミネルバはふくろうを飛ばした。それまでの時代がどういう世界であったのか、どうして終わってしまったのか、ふくろうの大きな目で見て総括させた。そして、その時代はこういう時代だったから、次の時代はこういうふうに備えようと考えた。つまり、ふくろうが飛び立った黄昏とは、うちの会社でいえば写真フィルムが終わった、銀塩のフィルムの技術が終わったことを意味しているんです」
古森が社長に就任した2000年当時、富士フイルムは写真フィルムを含む感光材料で市場シェアの7割を握り、営業利益の約3分の2を稼ぎ出していた。それが奔流のように迫るデジタル化の波に押し流され、以降、年率20~30%のペースで需要が激減し、11年度の売上高に占める比率は1%以下に落ち込んでしまった。坂道を転げ落ちるような本業のドラスチックな崩壊に、古森はいつ頃、どのように気づいたのだろうか。
「1980年頃でしょうね。写真のいろいろな分野に、デジタル技術が入ってきました。当初は電子カメラといってフルデジタルではないけれど、フィルムに使われる銀塩の代わりに撮像素子を使ったカメラが出てきた。流れが大きく変わり始めた象徴的な年は80年で、デジタルの時代がくるだろうなというのは、うちもイーストマン・コダックも、みんなわかっていたわけですよ」
しかしながら、このデジタル化の激流を富士フイルムは乗り切り、コダックは沈没した。“師匠”に当たるコダックが、2012年経営破綻に追い込まれ、“弟子”の富士フイルムが業態転換で生き延びる――2つの会社の命運を分けたものは一体何だったのか。