『太陽にほえろ!』の手法を禁じ手にした

まず君塚は、刑事ドラマの古典となっていた『太陽にほえろ!』(日本テレビ系、1972年放送開始)の脚本を読み込み、徹底的に分析した。

写真=ファミリー劇場「石原裕次郎没後30年 太陽は今も輝きつづける」オフィシャルページより

その結果、刑事のニックネーム、音楽に乗せた聞き込みシーン、刑事が犯人に感情移入して苦しむ展開などが、その後の刑事ドラマの下敷きになっていることを導き出す。

君塚は、これをすべて禁じ手にして、新しい刑事ドラマにすることに決めた。そのキーワードは、やはり「リアルな刑事もの」だった(同書、18頁)。

そこから、警視庁担当の報道記者や警察関係者、元刑事への取材を始めた。すると、そこで張り込み中にデートの予定があるからと帰ってしまったり、パンとジュースを買った時に領収書をお願いしたりする若い刑事のエピソードを聞いた君塚は、「刑事もサラリーマンである」というコンセプトを思いつく。

警察も他の会社と同じような組織であることに変わりなく、刑事は公務員でもある。織田裕二が演じる主人公の青島俊作が元コンピュータ会社の営業マンで、脱サラして警察官になったという設定は、そこから出てきたものだった(同書、20-23頁)。

後に、刑事ドラマではなく「警察ドラマ」と呼ばれるようになった『踊る大捜査線』の誕生である。

「犯人を逮捕しない刑事の物語」の誕生

そのなかで、「事件の発生から逮捕」という刑事ドラマの常識的パターンからは考えもつかないようなコンセプトも生まれた。すなわち、「犯人を逮捕しない刑事の物語」というコンセプトである。

太田省一『放送作家ほぼ全史』(星海社新書)

ここで、警察組織をリアルに描く警察ドラマというコンセプトが生きてくる。

主人公の青島は、湾岸署という所轄署の刑事。地道な捜査の末、青島は同僚たちとともに犯人を突き止める。だが、いざ逮捕という時になると、手錠をかけるのは警視庁の捜査員。青島は、自分の手で逮捕できず手柄を横取りされてしまう。いまでは刑事ドラマでおなじみとなった本庁と所轄の対立である。

それに伴い、『踊る大捜査線』には、これまでの刑事ドラマではあまり前面に出てこなかった警察組織内の人物が登場するようになる。その代表が、柳葉敏郎演じる室井慎次である。室井は、警視庁捜査一課の管理官。国立大卒の、いわゆるキャリア警察官であり、青島のようなノンキャリアとは異なるエリートである。だから、愚直に正義を追求する青島と、組織の論理優先で動く室井は対立する。

だがそうして衝突を繰り返すうちに、2人のあいだには立場の違いをこえた友情が芽生え、やがて理想の警察を実現するためにともに奮闘するようになる。このあたりはいかにもドラマ的な展開だが、それも警察ドラマのリアリティがあったからこそ魅力的なものになっていた。

この『踊る大捜査線』は、大ヒットしただけでなく、刑事ドラマの歴史を変える作品になった。『相棒』シリーズ(テレビ朝日系、2000年放送開始)などを見てもわかるように、いまや刑事ドラマでは警察組織内部の対立を描くことは当たり前になっている。

「冒険と実験」をモットーとする萩本欽一の教えは、君塚良一という弟子を通してドラマの分野に大きく生かされたのである。

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