イザベラが驚いた日本人の日常

1878年、46歳のイザベラは横浜に上陸し、そこで伊藤鶴吉という通訳兼案内人を雇い北へ向かいました。まず3カ月かけて北日本の日光、会津、新潟、東北、北海道南部まで、馬や人力車を使って旅をします。その後西日本も歩いています。その頃の社会を考えると、外国の女性の一人旅は大変だったでしょう。事実、『日本奥地紀行』には、蚊や蚤に悩まされたり、皮膚病の蔓延を気にしたりする様子が書かれています。でも、日本社会はおそらく初めて接したであろう異国の女性に大らかに対応したようですし、一方彼女は日本人の日常をよく観察しています。

最初に引用した言葉は、日光で出会った親子の様子を描いたものです。

「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである」(高梨健吉訳、平凡社東洋文庫、一九七三年)

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父親も子どもの世話をしていた

ここで描き出されているのは、母親だけではありません。「父も母も自分の子に誇りを持っている」とあって、お父さんが優しく子どもを抱いている様子が書かれています。さらに、「他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ」ともあります。

今の社会ではお父さんは会社人間というイメージが定着しているものですから、私自身江戸から明治へと移る頃の日本のお父さんについても子どもたちの世話をしている姿を思い浮かべることはありませんでした。実は子どもとよく接していたのだと外国女性に教えられた気持ちです。日常のことなので知っているつもりで知らなかったということはよくあります。気をつけなくては。