リウボウ提供
1954年当時のデパートリウボウ。国際通りに拠点を移し、本格的な百貨店業態の基礎を築いた。

リーバイスを日本で初めて売った「プラザハウス」

沖縄にはもう一つ、米軍統治時代の雰囲気を色濃く残す老舗小売店「プラザハウス・ショッピングセンター」がある。

那覇空港から車で50分の距離にある本島中部の街、コザ(現・沖縄市)。ここで、商売を通して米軍人らと“対等”な関係を築いたのがプラザハウスの経営を手がけた平良幸雄氏(90)だ。

20代から米軍基地内の建設会社に勤務。そこで培った語学力と海外で手がけた建設事業のビジネス経験を武器に、1960~70年代、外国人向け住宅で興した建設会社を軌道に乗せ、米国のファーストフード「A&W」や食肉輸入会社「イバノ」の買収も手掛けていた。

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「外国人住宅」建設のハウジング事業から、A&W、プラザハウスの買収、経営を手がけたプラザハウス現会長の平良幸雄氏

米軍の琉球司令部(通称・ライカム)にほど近い場所で1954年にオープンしたプラザハウスは当初、香港華僑のオーナーが経営していた。アメリカ型モールの建築様式が特徴で、欧米から直輸入した商品のセレクトショップ「ロージャース」や洋書店、レコードショップなどが軒を連ね、地元客の憧れの的になっていた。ハンバーガーや、Levi‘sのジーンズが日本で最初に売られたのはプラザハウスだったという。

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1954年開業のプラザハウス。広い駐車場に外車が並び、ショッピングを楽しむ米国人らで賑わっていた

アメリカと沖縄を合わせた「琉米文化」の象徴にしたい

本土復帰後の1984年、平良氏は前オーナーが店を手放そうとするタイミングで店舗の買収を決断。沖縄ならではの「琉米文化」の象徴になると事業に価値を見い出し、継承に動いた。

基地周辺にある米国人の住まいは、芝生のある庭にテレビや電話、冷蔵庫までそろい、週末には社交パーティーに興じる将校らの上流文化が垣間見えた。

物質的な豊かさを手に入れ、暮らしを楽しむことがどれほど人々を明るく前向きな気持ちにさせてくれるか。見たことも感じたこともなかった幸福感を沖縄の人々にも届けたい――。そう渇望した平良氏のビジネスは、「住」と「食」の切り口に、さらに「衣」のファッションも加わり、地元民の暮らしのステージを引き上げるテコの役割を果たした。プラザハウスはコザの街の象徴になった。