「欧州の天地は複雑怪奇」

バルト三国の人たちはそんな密約の存在は知る由もありません。秘密協定の内容は、戦後に明らかになったのです。

当時、「独ソ不可侵条約」は、世界中に大きな衝撃を与えました。ヒトラーは共産主義を敵視して、ドイツ共産党を壊滅させました。そのヒトラーがスターリンと手を結ぶとは考えられなかったからです。

でも、その後ドイツが一方的に条約を破棄して、ソ連に侵攻したでしょう。それが「独ソ戦」で、ヒトラーにとって独ソ不可侵条約は、ポーランド侵攻のために英仏を牽制けんせいする一時しのぎの条約だったのです。

実は、独ソ不可侵条約にいちばん衝撃を受けたのは、日本でした。日本はドイツ・イタリアと「三国防共協定」によって手を結び、ソ連とはノモンハン(当時の満州国とモンゴルの国境付近)で交戦中だったのです。

時の平沼騏一郎総理は、混迷する国際情勢の中、欧米との外交に自信を失ってしまいます。「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」という言葉を残して、平沼内閣は総辞職しました。日本が太平洋戦争に突入したのは、その2年後のことです。

「東欧革命」がもたらした独立のチャンス

日本にも影響を及ぼした独ソ不可侵条約ですが、独ソ戦が開始されると、バルト三国は一時ドイツに占領されます。

しかし、反転攻勢に出たソ連軍によって解放され、1944年から、再びソ連邦を構成する共和国となりました。戦後はロシア人が多数移住し、ロシア語が強制されるなど、民族意識を押さえつけられます。

それから約40年後、ソ連がゴルバチョフ政権になって改革を始めると、いわゆる「東欧革命」が起きて、東欧諸国のソ連離れが進みます。

バルト三国は、もともとそれぞれ独立国ですから、自分たちの国をつくりたいという思いをずっと持ち続けていました。ソ連がガタガタになって、再びチャンスが訪れたのです。