性別でも起きる「カモフラージュ」「マスキング」
これらの言葉は、発達障害の人たちが「多数派と同じようにふるまうべき」という社会的圧力を感じて、意図的に周囲に受け入れやすい自分を演じることを指しています。しかし、こういったことを長く続けていると、演技している自分と本当の自分の境目がわからなくなって、本人が自分を見失ってしまうことがよく起きます。その人が本来持っている能力を奪い去ることになってしまうのです。
性別でも「カモフラージュ」や「マスキング」が起きていて、社会で求められる男性、女性の「あるべき姿」に自分を当てはめるために、それぞれの人が本来持っている能力を隠し、奪っているということがあるのではないでしょうか。
「レンガモデル」から「石垣モデル」へ
性別、国籍、年齢、障害の有無などの、ある意味おおざっぱなカテゴリーに着目した「多様性」は、多様性尊重の入り口にすぎません。目指したいのは「一人ひとり」に着目した多様性です。
それを説明するとき、最近私がよく使っている言葉が「『レンガモデル』から『石垣モデル』へ」です。
レンガは、形も大きさもすべて規格化されて均一です。組み上げるのが容易ですし、1個壊れても、替わりのレンガを当てはめれば済みます。でも、人間をレンガモデルに当てはめる場合、その人のいろいろなでこぼこを削り取って、レンガの形に合わせないといけません。削り取ったでこぼこの部分は使われませんから、もともとその人の持っているものすべては活用されません。
レンガモデルを採用している企業にとって、自分のでこぼこをぎゅっと中に押し込めて、決められたレンガの形に合わせてくれる人材は、非常に使い勝手がよいと思います。そうした人材はおそらく、どこの部署でもそれなりに成果を上げるし、誰とでもうまくやれるからです。
しかし、そういったやり方に限界が来ていることに、誰もが気付き始めているのではないでしょうか。
でこぼこを削り取って決められた形に変えるのではなく、石そのものの形を活かし、うまくほかの石と組み合わせていくのが「石垣モデル」です。これはもちろん、高度なマネジメント能力が必要ですし、誤った認識に沿ってマネジメントを行うことがないよう、科学的なリテラシーが欠かせません。