シカゴのデパート経営者の衝撃的な一言

300年以上にもおよぶ小泉産業の歴史のなかでも、特筆すべきは3代目・重助だ。3代目というのは、太兵衛の後、経営に携わった人物の一人である5代目・新助の分家の初代・重助から数えて3代目ということである。

小泉合名会社を設立した同族5人のうちの一人だった3代目・重助は、1915年(大正4)に小泉重助商店を開店する。小泉重助商店は1941年(昭和16)に法人化されて株式会社小泉商店となった。商家としての小泉家の始祖を小泉太兵衛とすれば、3代目・重助は現在の小泉産業の実質的な創業者といえる。

3代目・重助は人一倍の好奇心を持って世界に目を向けた。商売のヒントを求めてのことだったが、最初に訪れた中国でも、次に訪れたアメリカでも大きな収穫はなかった。しかし、シカゴのデパート経営者・マーシャルフィルドとの出会いだけは衝撃的だったと言い伝えられている。

問屋の進むべき道について問うた3代目・重助に、マーシャルフィルドは、こう答えたという。

「日本の問屋は悪性のブローカーだ。真の問屋として生きるには『特殊特徴品』によって生きなければだめだ。マーシャルフィルド・デパートの卸部はそれをやるためにある」

「不況がもっとも好きである」の真意

真の問屋として成功したいのであれば、どこにでもあるものではなく、ましてや、まがい物でもなく、特殊で特徴のある自社ならではの品物を扱え。その考えにいたく感銘を受けた3代目・重助は、以来、「特殊特徴品」を商いの精神的支柱の1つとした。後でも触れるが、この理念は現在の小泉産業にもたしかに継承されている。

その3代目・重助が残した言葉に、「不況がもっとも好きである」というものがある。1930年(昭和5)の世界恐慌の折、3代目・重助が社員に配布した「不況対策と小泉商店」という冊子の中にある言葉だという。好況時、人は儲けだけを求めすぎ、後でその余波に苦しむ。一方、不況という逆境こそ、人の心を引き締めて真剣にさせるので、店はより強くなる。だから「不況がもっとも好きである」と記したのだ。

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権藤浩二現社長も次のように話す。

「正直に言って、うちにはいわゆる秀才はほとんどいないと思います。しかしビジネスでは秀才たちに勝るという自信がある。なぜかといえば、困ったときに2倍働く、2倍考える、あるいは、お客様のところに2倍出向く──要するに倍努力すれば足りないところは補えるんだと繰り返し教わるからです」

人一倍の努力をもいとわないバイタリティこそが成果につながるという、ある種、泥臭い仕事意識は小泉産業が持つ強みの1つということだろう。