優しかった兄はすっかり別人になってしまった。世間からの不妊に対する心ない言葉や親からの重圧に傷ついたのだろうか? 子どもがいたら、きっと子煩悩な父親になったであろう兄が、すっかり子ども嫌いになり、子持ちの夫婦にも冷淡になった。
そんな兄を見て親は嘆き、不憫に思えば、すべて私への攻撃につながった。
しかし、社会が伝える不妊問題にはこうした話は聞こえてこない。
兄に子が授からないのは私のせい…
家庭ほど無法地帯なものはない。母からの嫌がらせはそれだけでは終わらなかった。
親子が縁を切るのはいかに難しいことか……。親からの希望で絶縁中に父が急逝し、父の葬儀をきっかけに母や兄と復縁。母は何もなかったかのごとく、毎日孫に会いに来ては、私の家に入り浸った。
父と反目のまま永別したので、母とは時間をかけて修復する覚悟でいたが、それを再び覆したのも、私の第三子の懐妊だった。
「母と娘」をやり直すために、女の子が欲しいという私の願いが叶ったのだ。しかし、兄と母がこんなに苦しんでいるのに、三人も産む私の気が知れないと平気で言う母だったのである。母は私が子どもを産むから、兄に子が授からないと思っているようだった。
それでも母は毎日、孫に会いに我が家に来るのをやめなかった。
そして臨月に入ると、再び狂気の攻撃が始まったのだ。
身重の私に母親が命じた“異常な仕打ち”
私が結婚前に住んでいた実家の離れをトランクルーム代わりに使えばいいと言われ、不要の物を運び入れたとたんに、今度はその離れに私が婚前から残してきた荷物を含めすべてを出すように、母は臨月の娘に命じたのだ。
実家は長男である兄のものだからという理由だ。そんな母に兄も加担した。
もう、さすがに夫には言えず、一戸建ての引っ越し相当の荷物を家具に至るまで、一人で運び捨てた。私の過去をすべて捨てて、完全に母と兄とも縁を切るつもりだった。
三人目の妊娠は進みが早く、いつ出産が始まってもおかしくない状態だと、産科医からは注意を受けていた。二階から大型のスーツケースを降ろそうとして、突き出たお腹と階段に挟まり、そのまま一気に落ちそうになった。危機一髪だった。
「気を付けなさいよ、流産したら大変よ」と母が薄笑いを浮かべて見ていた。
私の流産、それが母の狙いだったのだ。母という人は自分で手を汚さずに、こうして人を陥れる人だった。母はまともではなかった。
一般に犯罪と認められた虐待死は氷山の一角にすぎない。もしも、私が流産をしても、私の不注意の事故で処理され、母が罪に問われることはないのだ。
10日ほどかけて荷物の運び出しを無事に終えた時、予定日が間近に迫っていた。
そして、出産予定日には、母からトドメのように「死産予言」の呪いの手紙が再び届いた。もう涙は出なかった。
入院中に我が子に危害が及ぶことが心配で、警察に母からの手紙を見せて保護を求めた。しかし、ストーカーと同じで事件にならない限り、警察としては動けないと言われた。