人間関係を通じて得られる学び

続いて、現代の大学生についても考えてみたい。私の甥2人は都内の私大に在籍しており、この4月で3年生と2年生になる。どちらもかなりの巨大校だが、大学の友人は少ないと語り、サークルはやめてリモートワークとバイトの日々だそうだ。「なぜ、バイトは対面でできるのに、大学の授業はリモートなのか?」という矛盾や、「小中高校は対面式授業が徐々に再開しているのに、どうして大学はいまだにリモート中心なのか?」という違和感もさることながら、それ以上に「なんてもったいない」と感じる点がある。それは「人間関係を通じて得られる学び」の損失だ。

結局、大学という場は「将来につながる人間関係をいかにつくることができるか」が重要なのだ。それは気の置けない親友であり、頼れる先輩や後輩であり、未来の配偶者である。将来、ひょんなことから同窓生と一緒に仕事をすることだってある。マンモス大学はさておき、小規模の大学出身者どうしであれば、年代は違ったとしても、それだけで社会人になってから仲良くなったりもする。

学校の施設などを利用して実験や研究を積み重ねる必要がある理系学部を除き、文系学部に通うことの最大のメリットは、学業よりも人間関係の幅を広げられることにあると、私は考えている。でも、政権が仮に「このままあと2年、現状のコロナ対策を継続する」といった判断を下した場合、2020年入学組は4年間の大学生活が「リモート」で終始することになり、単にその大学の卒業資格を得るだけの結果になるだろう。

写真=iStock.com/Edwin Tan
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大学は自分の特徴や好き嫌いを肌で感じ取るための場

私は別に「学生時代の友人は社会人になってからの友人よりも尊い」と言いたいわけではない。正直、本当に気が合う割合でいえば、大学時代の友人・知人よりも、仕事を通じて出会った人々のほうが圧倒的に多い。もっとも、それは私の通った一橋大学が非常に生真面目な校風だったことも影響しているかもしれないが。卒業後の進路は金融・商社・公務員・メーカー・会計士・弁護士・インフラ系・コンサルといった学生が大半であり、「学校でバカなことをする」といった雰囲気ではなかったのだ。

そうした空気感のなかで「つまらんヤツが多いな」と思いながら、「オレって実は面白いんじゃないか」という根拠のない相対評価に基づいて自信を抱き、「面白い人がいそうだ」という偏見をベースに広告・メディア業界を目指して、いまに至っている。そう、大学は人間関係を通じて他の学生と自己を比較し、自分の強みや特徴を知ることができる場所なのだ。高校までは教師の教えに従って、卒業後の進路を考えたり、進学校であれば受験勉強に集中したりする姿勢がまず求められる。一方、大学は自由に使える時間を自分なりにやり繰りしながら、おのれの特徴や強み、好き嫌いを肌で感じ取っていく場所なのである。とくに文系の場合、大学院に行かないのであれば、勉強はそれほど重要ではない。