しかしその後も着実に戦績を重ね、1993年には来日、全日本キックボクシング連盟(現在は消滅)の東京ベイNKホール大会にてパンクラス所属のプロレスラー、柳澤龍志とキックルールで対戦し、一方的な試合運びで判定勝ちを収めている。

ボクシングに転向し24連勝

その後、世界王座に4度も就くなどキックの世界で名を成したビタリだったが、1995年にボクシングに転向。言うまでもなく大金を稼ぐためである。

ドイツの最大手ボクシングプロモーションとマネジメント契約を結び、96年のプロデビュー以降、破竹の24連勝(24KO)。

99年6月26日にはハービー・ハイド(イギリス)の持つWBO世界ヘビー級王座に挑戦、下馬評通り王座を奪取する。ウクライナ国家初の世界王者の誕生である。

特筆すべきは2mと長身であること。ボクシング界には「巨人は激しく倒れる」という古くからの格言があり、長身は必ずしも有利に働かないと見られていた。

“動くアルプス”の異名を取ったプリモ・カルネラ(イタリア)や、ジェス・ウィラード(アメリカ)など長身の世界王者もいなかったわけではないが、俊敏性に欠ける彼らの多くは、小柄で瞬発力に富んだインファイターの餌食となって王座から転落し続けてきた受難の歴史があった。

それもあって、防衛戦はひときわ注目されたが、99年10月のエド・マホーン(アメリカ)、12月のオベド・サリバン(アメリカ)と難なく2度の防衛に成功した。

トランクスにつけたオレンジ色の布の意味

しかし翌年、クリス・バード(アメリカ)に敗れ王座から陥落。

すぐさまカムバックを果たし、2003年には、WBC・IBF統一世界ヘビー級王者のレノックス・ルイス(アメリカ)に挑戦する。

下馬評では「ルイスが完勝するのでは」と見られていたが、2階から振り下ろすようなビタリのストレートが次々と放たれ、さらにショートのフック、接近してのボディブロウとインサイドワークすら駆使し、序盤をポイントでリードした。

「ルイス危うし」と誰もが思った6R、ビタリの左瞼が切れた。偶然のバッティングのようでも、ヒッティングのようでもあるが、ドクターストップのTKO負けを喫してしまう。敗れはしたものの、大いに株を上げた。

ここからがビタリ・クリチコの真骨頂である。

2004年、コーリー・サンダース(南アフリカ)との王座決定戦を制し、ルイスの返上で空位になった同王座を獲得。

そして、ダニー・ウィリアムズ(イギリス)を迎えた初防衛戦。トランクスにオレンジの布を付けて戦ったビタリは激闘の末、8RTKO勝ちを収め王座防衛に成功する。

実はこのときビタリは、ウクライナ大統領選に出馬したヴィクトル・ユシチェンコへの支持を表明。親露政権下の大統領、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチの不正選挙を糾弾する「オレンジ革命」への共鳴を示していた。つまり、腰に付けたオレンジの布は、政治志向の発露でもあったのである。

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