90%以上は「冬より夏のほうがつらい」と話す

私もホームレス生活を始める前は、ホームレスというのはゴミをあさったり空き缶を拾ったりしなければ餓死してしまうものだという先入観があった。そういったホームレスをこれまでに見たことがあるからだ。では、なぜ彼らはそういった生活をせざるを得ないのだろうか。

取材記者がホームレスに聞いたところで「うるせえ、あっち行け」としかならないだろうが、同じホームレスとして話をすると案外本音を話してくれる。空き缶拾いで生活費を稼いでいるホームレスは「人の施しを受けるなんて俺にはできないから炊き出しは絶対に行かない」と話した。ホームレスの集落を避けるようにポツンとひとりで暮らすホームレスは「他人がいるところでは暮らしたくない」と話した。生きていくだけの飯を確保するぶんには、ゴミをあさる必要もなければ空き缶を拾う必要もないのだ。

こういった信念を持っているホームレスにはある種の宗教を感じた。教祖も信者も自分ひとりだ。いくらボランティアが働きかけたところで施しは受けないし、ましてや生活保護なんて受けるわけがない。今では聞き慣れた「発達障害」に該当するのであろう人は非常に多かったが、50代、60代の彼らの中に「発達障害」という概念などない。

私たちが思い描いているような過酷な日常を送っているホームレスは全体からすると一部だ。冬はボランティア団体がかなり質のいい寝袋と毛布を毎シーズン配ってくれるので「まず凍死などしない」という。自分が聞き回った限りでは、実に90%以上のホームレスが「冬より夏のほうがつらい」と話した。過酷な生活をしているホームレスはかなり目立つので自然と私たちの印象に残るのである。

パン耳を拾いにゴミ捨て場に通う

都庁下で私のとなりに暮らしていたホームレスの黒綿棒は統合失調症のような言動をしていた。日本の公安警察と米国の連邦警察に24時間監視・盗聴をされ、Mr.Childrenや尾田栄一郎の作品に触れるたびに「彼らは僕の脳からアイデアを抜き取っている」と本気で思い込んでいた。

黒綿棒は無政府主義を掲げているので生活保護は死んでも受けないという。そして、「僕はキリストを神だと思っていないので」との理由から、キリスト教の炊き出しを忌み嫌っていた。だが、黒綿棒はかなりの大食漢なので飯に困ることが多い。そんなとき多用しているのが、新宿三丁目のカフェのゴミ捨て場だ。ここには、サンドイッチを作るために切り落としたパンの耳が毎日ポリバケツいっぱいに捨てられている。

「この場所は人に教えていないのだから、パシャパシャと写真を撮るのは止めてくれないかな。それと、素手で取らないこと。ほら、パン耳が落ちたからちゃんと拾わないと」

どうしても記録に残しておきたく、スマホで写真を撮ろうとすると怒られてしまった。パン耳を落としたままにしてしまうとネズミがやってきて荒らしてしまう。そうなると、カフェの店員も外にパン耳を出さなくなってしまうかもしれない。ほかのホームレスが行儀よくパン耳を回収するとは思えないため秘密にしているのだ。その代わりに回収した大量のパン耳は周辺のホームレスたちに配って歩くのだが、「俺はいらないよ」と断られてしまうこともあった。