社会の摂理とも呼べるトラップにかかってしまう理由

【宮台】先ほどの寓話を思い出してください。島の人々は自給自足的な経済から換金作物を栽培して外貨を獲得する経済に移行することを自ら決めました。これにより、人々の暮らしはブローカーや国際市場に依存することになった結果、意図せざる帰結にさいなまれることになりました。

一体何がこの状態を招いたのでしょうか。それは島の人々の自立を願っての決断です。誰かに強制されたわけではありません。国際市場に依存することはわかっていても、それはあえて自らが選択したものであり、この時点の決定はいわば「自律的(=自己決定的)な依存」だと言うことができます。

ところが、その後、ブローカーや国際市場との関係は、抜け出そうにも抜け出せない依存、すなわち、依存しないという選択肢がもはや存在しないような「他律的(=非自己決定的)な依存」へと、変化してしまったのです。「自律的な依存」は、ほとんどの場合「他律的な依存」へと頽落たいらくしてしまいます。これは、いわば「社会の摂理」とも呼べるトラップです。問題は、なぜ人々はそんなトラップにかかってしまうのかということです。要因は二つあります。

一つは、情報の偏りです。われわれは「自分たちがよいと思ったことはよい」と信じがちです。しかし、それは、与えられた一定量の情報に基づいてそう考えているにすぎません。そう、保守主義者が言うように、われわれは理性的に決定したつもりでも、本当は知らないことがいっぱいある。だから、決定後のステージでは、知らないことがいっぱい起こるわけです。そうすると予想外の帰結に入り込んでしまう。

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人間は短期的な利益に飛びつきがち

もう一つの要因は、人間は短期的な利益を長期的な利益よりも評価しがちだ、という行動経済学的な摂理です。目の前に短期的な利益と長期的な利益が提示された場合、われわれはほぼ必ず短期的な利益を選びます。なぜなら、進化心理学によれば、人類はもともとそういうマインドセットを持つからこそ、種としても生き延びてこられたからです。

『ダーウィンの悪夢』に出てくる人々もそうでした。1980年代のタンザニアでは深刻な飢饉ききんが起き、人々は生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれました。そうした状態を脱するために、新たな経済スキームとして、善意で持ち込まれたのが、ナイルパーチの加工・輸出産業でした。ビクトリア湖周辺の人々は、短期的な利益を求めて、当初はこの産業に自己決定的=自律的に依存し、次第に非自己決定的=他律的に依存するようになっていったのです。