島民が犯したミスの正体
【野田】大変興味深い寓話ですが、この話で鍵となるのはどんなことでしょうか。
【宮台】一番重要な鍵は、今、紹介した寓話の中に、いわゆる「悪者」は出てこないことです。
思い起こしてみてください。島の住人であるみなさんは豊かさや幸福を求めていただけです。宣教師も文明の利器の便利さを教えてくれたにすぎません。じゃあ、ブローカーが悪者なのかというと、それも違います。ブローカーは、コーヒー豆をできるだけ安く買い取り、高く売ることを生業としているのであって、そうした商行為自体は悪ではないのです。
もう一つの、二つめの鍵が、ここでの契約のあり方です。一般的に契約は、当事者双方の自由意思に基づいて結ばれるものとされています。それがいわゆる自由契約です。でも、法実務の世界では双方の自由意思に基づいていても、必ずしも自由契約とは見なされません。片方が極端に有利で片方が極端に不利な立場にある場合は、契約は立場に従属したものなので、自由契約とは見なされないのです。
これを「附従契約(adhesive contract)」といいます。みなさんも周囲を見渡せばおわかりでしょうが、世の中の契約の多くは、立場の有利不利をともなう契約になっています。なぜか。立場の有利不利がどのようにして決まるのかを考えればわかります。それは、互いの選択肢が相対的に多いか少ないかで決まるのです。
この寓話のストーリーに照らして言えば、島の人々がコーヒー豆を売る相手は、島に来てくれるブローカー以外にいない。だから島民の選択肢は非常に限られています。これに対し、ブローカーはどこからでもコーヒー豆を買えます。ブローカーが言った言葉を思い出してください。「だったら、もう買わない。ほかからいくらでも買えるから」。ブローカーにとっての選択肢はこの島から買う以外にもいくらでもあります。
しかも恐ろしいのは、コーヒー豆の売買契約を結んだ時点では、島の人々はこの非対称な関係に気づいていないことです。島民は自由意思でブローカーと契約したつもりでおり、契約内容がブローカーの都合で変更される可能性を想像すらしていませんでした。
附従契約を結ばされていると知ったのは、ブローカーから「値段を半値にする」と通告された瞬間であり、そのとき初めて自分たちがきわめて不利な状態に置かれていることを理解したのです。
空間的帰結と時間的帰結
さて、島の人々はその状態を元に戻せるだろうか。戻せません。というのも、島の圃場は農薬や化学肥料などの投入によってコーヒー豆の栽培に特化した土壌に変質してしまっており、モノカルチャーをやめて再び自給自足的な経済に回帰しようと思っても、それにふさわしいインフラはすでに失われているからです。これが三つめの鍵となる不可逆性です。
もう一つ、重大なポイントは島の人々のマインドです。彼らはかつて自給自足的な暮らしをしていた頃は文明の利器に触れたことすらなかったため、それがないことによる不利益や不自由を知らずにすんでいました。しかし、コーヒー豆栽培によってお金を得て、自ら利器を買って使うようになってからは、その便利さや快適さを知ってしまいました。だから、再び利器を持たない不便な暮らしに戻ろうというマインドは持ちようがないのです。
このように、構造的貧困の「構造」には二つの意味合いがあります。一つは、ステアリング(舵取り)不能な、自分たちの営みより大きな「システム」に組み込まれてしまうという空間的帰結、もう一つは、いったんそうなってしまうと元に戻れないという時間的帰結です。いずれの意味合いにおいても、すでに決められてしまった道をただ進むしかありません。しかも、そうなることを事前にわきまえていませんでした。つまり、意図せざる帰結です。そこに悲劇があるのです。