金融崩壊が起きても資本主義の代案は生まれなかった
社会主義に対するアメリカの変化は、実をいえば世界的な傾向なのかもしれない。というのも、10年ほど前までは、資本主義に代わるようなオルタナティブは、ほとんど思考できなかったからだ。2008年にアメリカで金融大崩壊が発生し、社会システムを変えるには最も適したその時期に、左翼の大物であるスラヴォイ・ジジェクは「実行可能である代案が示せない」と告白していた。2008年に示せなかったら、もう永久に示せないのではないか、と思われていた。
じっさい、イギリスのマーク・フィッシャー(1968〜2017)は2009年に『資本主義リアリズム』を出して、同じことを語っている。ちなみに、この著作のサブタイトルは、「資本主義に代わるオルタナティブは存在しないのか?(Is there no alternative?)」となっている。これに対して、フィッシャーはこう言い切っている。
(フィッシャー『資本主義リアリズム』)
資本主義批判だけが存在する唯一の現実である
現代の資本主義社会は、資本主義だけが存在する唯一の現実であって、それ以外の現実的なものは考えられない、というわけである。資本主義をどんなに批判しても、「その代わりはどうするのか?」と問われたら、答えに窮するのだ。
この問題を提起したフィッシャーは、2017年に自ら命を絶ってしまったが、晩年の頃は「ポスト資本主義的欲望」という講義を行ない、資本主義に代わる方向を探っていたようだ。