行政や民生委員の見守りからも見落とされがち
私が同居孤独死で危惧するのは、夫婦のみ、家族のみという閉じた関係性のみで支えあった結果、声を上げられない弱い立場の人が最後に取り残されて、命を落としてしまうという最悪の事態を目の当たりにしているからだ。
また一人暮らしではなく、家族で支えあっているという実態があるからこそ、行政サービスや民生委員の見守りからも見落とされがちという制度的な落とし穴もある。
昨今、80代の親が自宅にひきこもる50代の子どもの生活を支え、最終的に立ち行かなくなる8050問題が社会問題になっている。私自身かつて中学生の時にいじめに遭い、ひきこもりだった経験がある。
だから自分が社会から「取り残される側」になったかもしれないという思いを抱いている。当時の心境を振り返ると、心を閉ざしも孤独感を感じて、誰も頼れないと感じ、孤立していた。もし自分がひきこもったまま中年を迎え、親が亡くなった場合にどうすればいいかわからず、遺体を放置したかもしれない。そしてその後、最悪私自身が餓死などして、共倒れしたかもしれない。
だから、「同居孤独死」は、私にとって自分事でもある。
数千万円の貯金もむなしく、母の入院直後に孤独死
私はかつて50代の女性の孤独死現場に立ち会ったことがある。女性の父親は病死し、母親は介護施設に行き、一人残されることになった。女性は精神疾患を患っており、母親の死後、「これからどうやって生きていけばいいの?」というような内容の書き置きを残していた。私は彼女の戸惑いと不安が痛いほどに理解できた。
一家の親族は近所に住んでいたものの、長年寄り付かず、近隣住民とも付き合いが無かった。だからこそ、彼らは家族のみで必死に支えあうしかなかった。頼れるものはお金だけで、そのために尋常ならぬ節制をした痕跡があり、女性のために数千万円の貯金を残していた。
女性は、最後に支えあっていた家族を亡くして、途方に暮れただろう――。きっと家族以外に、誰も頼れる人がいないと感じていたはずだ。だからあの書き置きに自分の思いをつづるしかなかったのだ。彼女は社会から孤立し、不安を抱えたまま母親が入院した直後に、孤独死した。長く放置されたせいで、死因は不明だった。家族が死に物狂いでためたお金も、女性のために使われることはなかったのだ。
私はそんな女性の死がひとごとだとは思えない。私も、女性と全く同じような道をたどったかもしれないからだ。ひきこもっていた当時の心境を振り返ると、こうなったのは自分が悪い、とひたすら自分を責め続けていた気がする。