後の名将の前に垂れ下がった1本の「蜘蛛の糸」
テストに合格する自信はさほどなかったそうだが、300人以上が受験した中で、運よく合格した。それは、1本の「蜘蛛の糸」が目の前に垂れ下がり、それを見事につかんだからだった。
野村は遠投テストの1投目に失敗し、合格ラインに届かなかった。ところが、第2投の直前、隣にいたスタッフが「もっと前から投げろよ」とささやいたのだ。その言葉に従って白線の5メートルほど前から投げてみて、それでようやく合格ラインを越えたのだ。
後に、そのスタッフは1年先輩の内野手・河知治だと知ったという。彼もまたテスト生出身の選手だったのだ。「人間の縁、運はどこに転がっているのかわからない」と、終生野村氏は感謝の気持ちを持ち続けていたという。
こうして、ついに念願のプロ野球選手となったのだった。入団テストに合格した直後、食堂に呼ばれて仮契約を交わした。球団マネージャーから「好きなものを食べてもいいぞ」と言われた野村氏はカレーライスを3皿も平らげたという。後に「あのときのカレーのおいしさは格別だった」と振り返っている。
若いときに流さなかった汗は、年老いて涙に変わる
プロ野球入りするまでの野村氏の略歴を駆け足で振り返ってみた。名捕手、そして名将にも雌伏の時期があったのだということが改めて理解できるはずだ。
さて、先日発売された『野村克也全語録』(プレジデント社刊)では、「しなくていい苦労はしない方がいい」と言いつつも、こんな言葉を残している。その一節を引用して、本稿の結びとしたい。
若いときに流さなかった汗は、年老いて涙に変わる――。
三回忌を迎えた今、改めて現役選手たちに、そしてすべての人たちが肝に銘ずべき「野村の言葉」かもしれない――。