なぜ維新批判を始めたのか
維新も黙っていない。26日には馬場伸幸共同代表名義の、立憲民主党の泉健太宛ての抗議文が党本部に届けられた。これに対し、菅直人は同日17時58分に
さらに27日午後8時11分には
維新との闘いで、リベラル派は軟弱と見られていると痛感。私は改めて「闘う(たたかう)リベラル」であることを宣言する。私は学生時代からのリベラル派。ゲバ棒を持った対立グループに取り囲まれたが、要求された自己批判は断固拒否した。今回の維新の脅しは私には通用しない。】
菅直人は、なぜ、維新批判を始め、維新と闘う姿勢を明確にしたのだろうか。
昨年10月の総選挙で、菅直人は東京18区で勝ち、14回目の当選を果たした。
12月に支持者へ向けた報告会が開かれ、その場で菅は、次の総選挙には立候補しないことを明らかにした。75歳という後期高齢者になったことが最大の理由だろう。
今期限りとなれば、誰もが「後継者は?」と思う。現在、菅直人の長男・源太郎は政策秘書を務めている。彼はこれまでに2回、岡山の選挙区から立候補して落選しているので、「議員になる気」はありそうだと思われても仕方がない。
普通なら、いよいよ息子に譲ろうとなるが、「世襲」批判をしてきたので、そういうわけにはいかない。
その報告会の場で、源太郎が後継者として東京18区から立候補することもないと、明言した。
政治家が引退を決めて表明するのは、ほとんどの場合、選挙の直前である。当選した直後に、「もう次は出ない」と宣言するのは珍しい。
怖いものがなくなった
「今期限り」と決めたことで、菅直人は「怖いもの」がなくなった。政治家にとって最も怖いのは「落選」だ。もう選挙に出ないのだから、落選しようがない。
ふっきれたように、「残り2年か3年かわからないが、完全燃焼しよう」と、そういう気分に満ちていた。
2011年に総理を辞めたときも、そうだった。「何年かたてば、また、菅さんに総理を、となる時がきますよ」という半ば社交辞令的なことを言われても、「もう総理大臣はやりません」と明言していた。
そして、「総理を目指さないと決めたからこそ、『原発ゼロ』を堂々と言える」とも言っていた。この先、総理大臣になれるかもしれない若い政治家は、さまざまなところから圧力がかかると思うと、なかなか言えないものらしい。
それは原発に限らない。本当に若い時はずけずけと言いたいことを言っていた政治家が、ベテランになり、内閣や党の要職に就いて総理大臣の椅子が見えてくると、慎重になる例をいくつも見ている。
だが、菅直人はそういう未来を放棄したので、「原発ゼロ」を堂々と言えた。電力会社の労働組合から支援できないと言われても、臆さなかった。
今回は、もう選挙に出ないと決めたので、さらに自由になったのだ。