写真や画像、遺書がドラマ制作に使われたのか

週刊文春によれば、雅子さんが望月記者に貸した写真や画像・音声データ、遺書などの一部しか返却してもらっていないという。何度も電話したが応答がないそうである。

ドラマの中では、自死した夫の遺体を妻が抱きしめ、机の上の遺書を見つけるシーンがある。遺書には妻にあてて、「本当にありがとう」と書いてあるが、「り」の字が涙で滲んでいる。これは本物の遺書と同じだという。そのほかにもディテールがそっくりな箇所がいくつもあるそうだ。

推測だが、雅子さんから預かった貴重な「証拠品」を、ドラマの制作に携わる人間に見せた可能性は否定できない。

東京新聞側は週刊文春に対して、「取材で得た情報等を報道目的以外で使用することはありません」と答えているが、望月記者が公の場できちっと説明責任を果たさなくてはならないこと、いうまでもない。

そうでなくては、安倍元首相の数々のこれまでの疑惑について、説明責任を追及することはできまい。

私が望月記者と会ったのは2017年だった。月刊誌のインタビューのためだったが、菅官房長官(当時)を震え上がらせている新聞記者とは思えないほど素敵な女性だった。

私は失礼だが、「菅の会見で、あなたがやっていることは記者としては当然のことで、他の記者たちがだらしなさすぎる」という趣旨のことをいった。彼女はこう答えている。

自分自身が取材対象になった望月記者の不幸

「こんなことで有名になること自体が恥ずかしい話ですよね。今は会見でどこの記者がどんな質問をしているのか、国民がチェックできるわけですが、そういう自覚は確かに私たちに、ちょっと足りなかったですね。

私自身が遅ればせながら入っていって、あれだけ反響があったということは、国民側が知りたいことを聞いてくれてないという不満を、そうとう持っていたから、私を『がんばれ』という人たちは、同時に『今まで何をやっていたんだ』と思っているのでしょう。

だから政治家にだって舐められますよ。モリカケ問題も、新聞は騒いでいるけど、自分の周辺の記者は言わないし、秘書官が苦言を呈することも、ほとんどないと思うので、本人(安倍首相=筆者注)もこれでいいと思っていたはずです」

彼女の“不幸”は、取材活動や書くもので評価されるのではなく、「美しすぎる新聞記者」としてメディアの寵児になったところにあった。映画だけではなく、彼女の日常を追ったドキュメンタリーもつくられた。

彼女自身が取材対象になってしまったのである。古いノンフィクション・ライターの中には、作品は発表しても顔写真は出さないというのがよくいた。理由は、面が割れると取材がしづらくなるというものだ。今、彼女の取材活動はやりにくくなっていると思う。