イラン系の美人を呼び、宮女に男装をさせて寸劇を楽しむ

【柿沼】とにかくやりたい放題ですよね。武帝の時代に万里の長城をこえて北方の異民族・匈奴きょうどと戦ったのですが、戦争にはお金がかかる。結果、国家財政が逼迫ひっぱくしてきたので、武帝は「しょうがないなあ」と、帝室財政の根幹を占めていた塩と鉄の管理・売り上げによる収入を国家財政へと移管しました。大学入試問題にも登場する「塩鉄専売制」です。逆にいえば、それまでどれほど儲けていたのかという話ですね。

――漢の贅沢皇帝といえば、後漢の霊帝(位:168~189)なんかはいかがですか? 彼に仕えて専横を極めた宦官の集団「十常侍」は、三国志ファンのあいだではお馴染みの悪役です。

【柿沼】前漢時代の皇帝とくらべると、私は霊帝が特段ひどい人物であったとは思っていません。というのも、武帝期にはじまった皇帝権力の削減はその後もどんどん進んで、後漢時代には帝室財政がかなり小規模になっているのです。霊帝はご先祖が持っていた権力の源、帝室財政を取り戻したかったのだろうというのが私の見解です。ただしタイミングが悪かった。国家財政の支出が拡大するなかで、それでも帝室財政を増やそうとするものですから、周囲からみると私利私欲に走っているようにみえたことでしょう。

じじつ霊帝は、帝室財政をもちいて軍隊や学校を整備するだけでなく、残ったお金でイラン系の美人を呼び、中央アジアの音楽をかけ、宮女に男装をさせて寸劇をして遊んでいました。霊帝は当時のファッションリーダーで、中央アジアのシルクロード文化を好んだ人物です。

「総理大臣」はプロ野球選手以上の高給取り

――いっぽう、臣下の暮らしについてはいかがでしょうか。

【柿沼】まず、後漢の丞相や大将軍……。すなわち、現在の総理大臣に相当する立場の人の給料は月に6万銭くらい。いっぽう、ノンキャリアの下役人は数百銭でした。当時の中流家庭の全財産は不動産を含めて3~5万銭くらい。むりに現代日本に置き換えれば、3万銭は3千万円くらいの感覚でしょうか。そうすると大将軍は年収7億円くらいになりますね。

――プロ野球のトップ選手並みですね。昨年、田中将大選手(楽天)が推定年俸9億円、柳田悠岐ゆうき選手(ソフトバンク)が6億2000万円ですから……。しかも、プロ野球選手は年俸の半分を税金に取られますが、後漢の大将軍は取られません。職務上、ほかの実入りもたくさん入ってくることでしょう。

清代の『宮殿蔵画本』に載る諸葛孔明の絵(写真=HuangQQ/故宮博物院/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

【柿沼】入ってきますし、なにより自分たちが田畑などを持っています。たとえば、後漢の梁冀(?~159)は、父親も自らも総理大臣クラスの政府要人で、のちにクーデターを受け、霊帝の先代である桓帝(位:146~168年)に滅ぼされます。そのときに彼の財産は30億銭にのぼったという記録があります。前漢時代の後半期の100年間には、公式には280億銭が鋳造されたそうですので、それを基準にすると、お金の9分の1くらいは梁冀の家に入っていたわけです。公式に鋳造された銭以外の価値物の存在をカウントに入れても、梁冀の財産は相当なものであったといえるでしょう。

――総理大臣といえば、蜀の総理大臣(丞相)である諸葛孔明あたりはいかがですか。

【柿沼】論文「諸葛亮孔明の月俸と財産」(『ユリイカ』2019年6月号)でも書きましたが、諸葛孔明の収入は一般農民の100倍以上ですね。ただ、それでも周囲の人からは「なんて清廉潔白なんだ」と評判になっていた(笑)。